2022_0130_本読み

1月30日(日)は以下を読みました。

山崎
『しゃぼん玉 その黒い膜の秘密』立花太郎 著、中央公論社、1974年刊
6 水面上の薄膜
長鎖分子の形と配向 ラングミュアの研究

今日の最後の文

〈ラングミュアこそは、「糸と封蝋と紙ばさみ」だけで偉大な発見をなしとげた最後の科学者であったのかもしれない。〉

でした。挿図にある、構造式(元素記号から繋がる線のでてるもの)と具体的な説明図のイメージが一致して、ぱっと見でわかる、というのはそういうことなんだろうな、と思いました。

この時代以降、量子力学などで、もはや具体的な図は便宜的なもので、数式でしか理屈を理解できない、というような雰囲気になっていくのだな、などと思いました。



はやしさん
『からすのお菓子やさん』
加古里子 作、偕成社

シリーズの続編。こどもたちが成長して、自分の店をやる、という展開に。

最初の作が1973年だったのですが、これは2013年。40年後に書かれたけれども、違和感全然なしでした。

髪型だとか、食べ物だとか、着物だとか、細かいところがとても楽しいので、いくらでも眺めていられるこどもたちがいるだろうな、と思いました。



めいさん
『節英のすすめ』
木村護郎クリストフ 著、萬書房、
漢字の功罪(3199〜3259/3674)

ヨーロッパの言語は隣接の言語がグラデーション的につながっているので、そのままでもかなり通じる面があることが著者のチェコ語、ソルブ語体験からも説明されていました。いっぽう日本と中国等で「漢字」は共通する文字なので、意志の疎通にとても役立ちます。

障害としては、同じ漢字が違う意味で用いられる場合もかなりあること、漢字文化圏でない日本語を学ぶ人にとっては、複雑で学ぶのに手間がかかる、という点。



きよもとさん
『俳句と地球物理 』寺田寅彦 著
Ⅳ 連句と音楽

俳句とヨーロッパ世界の物理学(だったでしょうか、自然科学だったでしょうか)とを、対照させて考える、という、ちょっと聞くと、それとこれを比べるのって何かおかしい、と感じることが、実は的外れでもなんでもないのですよ、という提案でした。

俳句、という短詩がなぜ成り立つのか。

575のリズムの起こりは判然と確定できなものの、体に馴染むことは事実としてあること。

それぞれの言葉がイメージの歴史を持っていることによって可能になる、連想と暗示の極度な圧縮。

の二つを言っていたと思います。



山崎
『芭蕉連句集』岩波文庫、
二二 水仙は(春と龝)78〜80ページ

今日のところも、注や補注に謡曲のこと(「百万」)が出ていました。しかも前出の「三井寺」と、子を失った母が狂女となる、ということが同じでした。そんなところから、芭蕉のこの時代を感じとろう、と思いました。

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