2021_1205_本読み
12月5日(日)は下記を読みました。
山崎
『声で楽しむ日本の詩 和歌・俳句篇』大岡信/谷川俊太郎 編、岩波書
☆
登場の作者:芭蕉 来山 鬼貫
今日も、近世俳句のところでした。
最近、友人に進められて『夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業』を読んでみました。形を知り、自作するところから俳句を理解していく方法がすごく面白く、この言葉の非常に短いまとまりに、無限の表現が内包されてるのが、なんとなくわかり、とても面白かったです。
メモ:ことばとは「置き換え」のような気がしました。ものからことばへ置き換える。ことばからことばへ置き換える。違う世界間を置き換えるので、変化してしまう。。。
こいでさん
『400字のデッサン』野見山暁治 著、河出書房新社
「マピヨン通りー椎名其二」
☆
今日のところの、椎名さんの心底がんこな、一徹ひねくれ、またそれがみんなを惹きつける魅力ぶりが、、、辛かったです。この時代、個人でパリに居る異邦人としての日本人の、なんとも言えない孤独とか意固地とか素敵とかが全部混じった嫌な感じに、胸がくるしくなります。
昨日、この章の前半を聞いた時は、そのことをまだ思い出していませんでした。
めいさん
『節英のすすめ』
木村護郎クリストフ 著、萬書房、
第2部 節英はどのようにできるのか
9りんご(隣語)をかじろう
言語の社会的な相対性(2268〜2323/3674)
☆
翻訳ということについて、ゲーテの
「外国語を知らない人は自分の言語のことも何もしらないのである」
ということばが引用されてました。
日本のある英語教材では
He who knows a foreign language, knows nothing of his own.
そして、ドイツ語原文は
Wer fremde Sprachen nicht kennt , weiß nichts von seiner eigenen.
どのように違っているのか、の例がいくつか挙げられていて、そのうちの一つは、
日本語の場合は、言語を「国」単位で考えている、ということ。
この場合の英語は、a foreign languageとなっていて、一つの外国語(意識してるかしてないか、英語を示してると思ってしまう)と書いていて、
しかしドイツ語Sprachen(言語)は複数形なので、複数の言語を学ぶ、を意味している
という、やや誤訳のエリアにも入りそうなところを突いていました。
きよもとさん
『銀の匙』中勘助 作、新潮文庫
後編 十八
☆
その後、たまたま伯母さんと同郷の「ばあや」と出会い、これまでの話を聞きます。「御夢想灸点の記」という初めて聞くめずらしい語がありました。また、ばあやの口調「だに」とか「だで」で、愛知〜三重の知ってる人のことをすっと思い出したりしました。山崎の親は静岡だもんで、「だもんで」を時々使うんですが、それも、少し「だで」や「だに」につながってる雰囲気を感じます。
山崎
『芭蕉連句集』岩波文庫、47〜50ページ辺
十二 磨なをす(浅草)
☆
名残の折の折立まで。
意味は、300年以上前とはいえ、日本語なのでおおまかにはわかりますが、背景の教養がないので、繋がりが見えないものが多いです。
きよもとさん曰く、連句はいかに変化をさすかが見せ所らしい、とのこと。
その変えっぷりを楽しむものらしいです。つながっていながら、変わる、そこに面白さがあるのでしょう。
まあ、読んでいくしかないです。
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