2021_0807_本読み

8月7日(土)は、

山崎
1、『数学する人生』岡潔 著、森田真生 編、新潮社、最終講義 懐かしさと喜びの自然学 165〜172ページ   三 情緒とは何か いのち


これはスミレという花だ、という知的な見方。
紫色をしている、という感覚的な見方。
以上は理性で世界を見る見方。
触って「確かにある」というのが実在を感じる見方。
それ以外に、スミレっていいなあ、と感じる見方が岡さん曰くの「情緒」で見る見方。
それは先験観念だといいます。漢字から考えると、経験ではなく、元々人に備わっている見方ということでしょうか。

このあと、仏教のことば、叡智、真智、大円鏡智、平等性智、無性法認、を用いて説明が続きますが、わかりません。

次は具体的な話になります。
かぼちゃの種が、蒔かれて、育って、実がみのる、のは確かに不思議です。
そして、人はどうして、どうやって立つのか、これもできてしまうけれども本当に不思議なことです。
ここは岡さんの言う通りだと思います。


こいでさん
2、『しのびよる破局  生体の悲鳴が聞こえるか? 』辺見庸 著、角川文庫、不都合なものへの眼差し 年譜や碑文はいらない 他の痛みへ


これは2008年に出た本です。パンデミック、コンピュータやAIの進化による世界の変化で、生身の人間たちは不安に追い詰められています。

そのことをあらわす事件が頻々と起きています。

それを自身の病や老いでとてもリアルに感じている筆者。

これからもっと変化していく世界で、いったい人間はどう振る舞うのかを、どうしても見たい、と率直に書いています。


きよもとさん
3、『ここにないもの - 新哲学対話 』野矢 茂樹 著、植田 真 イラスト、中公文庫


「人生が無意味だって、どんな意味なのだろう」
エプシロンとミューが、このことについて、ああでもないこうでもないと、話を繰り広げます。


山崎は、誰でもそこに居れば、世界になんらかの影響を及ぼさないわけには行かないから、良くも悪くも必ず意味を持ってしまうのではないかな、と思いました。それを無意味というならば、世界があるということが無意味となるのではないでしょうか。
「意味」ということばは曲者です。
(別のところでやっているチョムスキーの統辞構造論でも「意味論」を除外しながら考えようと提唱してるのですが、分離できない感じ。)


生きてるのが辛い時に「人生が無意味」と聞くと、慰められる

生きてるのが辛くはない時に「人生が無意味」と聞くと、悲しい

という感想も出ていました。


山崎
4、『幼なものがたり』石井桃子 著、福音館書店、220〜227
ページ キノコ狩り 指 お茶の実


キノコ狩りの記憶が、西洋の絵画と結びついて、くっきりとしたあるイメージとなってること。お茶の実や竜のひげのルリ色の実は、山崎も幼時にいつも見ていたものだったので、親近感というか既視感的なものすら感じました。「指」は奇妙、奇怪ですが、こういう記憶を持っているこどもは数多いのではないか、と思います。

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