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ブログから離れてみる

今日は2023年2月6日月曜日、ブログの日だそうです。こんばんは岸波豊です。

noteとブログとは必ずしもイコールではないようなんですが、こうやって日を単位で書いていると、ブログと同じような感じがしますね。

noteを始める前は、もうちょっとブログより体系だった、本に近い構成が自然とできるものと思っていました。

ところが、毎日を単位に、また、記事の毎日連続投稿が推奨される仕組みであるため、同じ記事の中での添削や修正や項目の追加よりも、新しい記事の新設が促されます。

そうなると、別の新たなタイトルの記事になるわけで、以前の話題をブラッシュアップするより、新たな話題に移行する方が、作成動機としては強くなります。

私も不安と恐れの対策をテーマに書きたいからこのnoteを始めたとはいえ、そう毎日不安と恐れ対策の新たな話題が出てくるわけがなく、いつか話題が尽きます。

そうなれば日刊、毎日更新ができなくなるのでしょうが、いや、それだけではなくて、そこではじめて、最後まで書ききった、では体系化しよう、ということになるはずだったのです。

noteさん的には、そして本になる、本にする、といったことも宣伝されてますし、それを目指して書かれている方もいらっしゃるでしょう。

必ずしもを本になることをめざしていなかったとしても、毎日書いたからこそ記事がたまり、ようやく素材が集まった、となるはずです。

しかし、毎日更新でブログ化してしまうと、更新そのものが自己目的となり、終わりがなくなります。ブログの終わりとは、やめたときが終わり、新しいことが書けないから終わり、なんとなく更新がおっくうで終わり、つまり、単にやめる、になる気がするんですね。

そんな尻すぼみな終わりではなくて、本来は書けなくなったときに出し切った、本の初稿の完成だ、さて体系だって推敲編集しよう、となるはずでした。

ところが、毎日新たな話題でもって単発の記事を書いているものだから、体系化するときに余計な内容が多くなりすぎています。

今日のブログの日も、今日だから通用する前フリであって、本にすると言わないまでも、体系化、編集される際には、カットされる文です。

記事の落ちも、まあ、毎日落とそうとしてますが、これも、単発の記事だから成り立つのであって、体系化するならカットされる部分です。

最後に体系化したいのであれば、素材の段階で体系化しやすいようにしておかないといけなかったのかもしれません。

今のままでは、書ききっても、記事の山ができただけで終わりそうです。

普段ならこれで落ち、そして、おやすみなさい、と書いて終わりです。

一話完結のこのスタイルに知らず誘導されてたのかもしれません。

もちろんこれは書きやすい、読みやすいんでしょう。しかし、完結した話題を一日単位で区切り、明日は新ネタというのでは、話題を生産し消費しているだけです。

私は、ひとつの話題に集中し、発展させ、体系化させたかったんです。毎日の記事はそのための素材を作っていたはずなんです。

いつの間にか、軽い完成品にしていました。これでは接続なり発展なり組み立てなりが、できない。とは、言わないまでも、いらない部分が多すぎます。

じゃあどうすればいいか。

そう、たとえばここまでで、中途半端に記事を終わらせていないといけなかったんですね!

落としてはいけなかった。

けれども、公開しないなら、体系化できる最後まで書きあげるなんてほとんどの人がしないだろう、と。

なるほど、頃合いが難しい…