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できるけどしない

今日は2023年2月1日水曜日、もう2月です。こんばんは、岸波豊です。

昨日は用事が長引いたため記事を書きませんでした。書けなかったというのもありますが、毎日更新を目指していたわけでないので、あっさりあきらめました。

仕事も用事も、どこまでもしようと思えばできてしまうところがあります。
それこそ、24時間戦えますか、というCMが流れていた時代があったわけです。
今ではありえないブラックさですが、ブラックではなく、寝ないで続けれるくらい、楽しかった時代でもあったんでしょう。

しかし、仕事も用事も、できるからするとどこまでしてもきりがない。
そして、何かが、だいたいの場合睡眠や家族の団らんなどの時間を削ることになるはずです。

できるからしてしまうと、それはできることになる。

そもそもしてしまうのは、できるのにできないと断らないため、しないと罪悪感を感じるため、いろいろとあるでしょう。

それでしてしまう。してしまえば、できることになる。

そんなことを続けているといつか、できないと断らないといけないところにまで結局は追い込まれるはずです。

24時間戦えますかの時代も、24時間は超えられないわけです。

そしてその時の自分の体は、自分の家族関係は、きちんとケアできてるのでしょうか。

断ること、できることでもしないこと、これらはどこかでは必要になるはずです。それによって罪悪感を感じるということは、どこかで必ず罪悪感を感じないといけないことになります。

これは極めておかしなことです。自分が倒れないと、一日24時間を超えないと、罪悪なんでしょうか。
そう、その発想が誤っています。

そうであれば、どこかで、罪悪を感じることなく、断らなくても、できてもしないで終える時間があってよいはずです。

その時点で何かができていなくても仕方がない。

倒れるまで、24時間を超えるまで、努力し続けなければ許されない、罪悪であるという発想をやめたい。

今できてなくてもいいんじゃあないですかね。

今できてなくちゃあいけないんですかね。

そうしないと不安だからでしょうか。
不安は、予測と現実の乖離から生まれます。
自分はできると予測した、一日は24時間以上あると予測した。現実はそうでなかった。現実が正しく、予測が間違っていた。
正しく予測するには、自分の体力を知り、24時間で一日だと知ることです。

小学校2年で時間を習いました。
寝不足も、明日わかりますが、今もわかっているはずです。
家族も…もうわかってるかもしれません。

できないからしない、から、できるけどしない、へ。

おやすみなさい