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すぐに届かなくても

「もうこなくなったかと思っていたお手紙が着きました」(八木誠一、得永幸子『終をみつめて』)
 二十六年に渡って百信が交わされた。瞬時にメールが相手に届く今の時代は返事がすぐにこないと不安になってしまう。返信がすぐにこなくても、すぐに返信を書けなくても、二人はずっと相手のことを思い続けていただろう。
 和辻哲郎が留学中に妻と交わした手紙が残っている。和辻がヨーロッパに留学したのは、二十世紀の初めのことである。当時の手紙は船便なので、和辻が出した手紙が妻に届くまでにはひと月以上かかかった。
 それでも、和辻は毎日妻に手紙を送った。妻の元に毎日届く手紙は過去からの手紙だった。二人は遠く離れて生活していることを意識していたはずだが、二人が交わした手紙には「今」言葉を交わしているのと同じ喜びが溢れている。
 和辻哲郎の『イタリア古寺巡礼』という本がある。和辻がイタリアを旅行した時、行く先々のホテルで気軽に書いた私信を集録したものである。もっと考え直したり調べ直したりして念の入ったものにするつもりだったが、長く放置していたら、書いたこと以外は忘れてしまい、どうにも手のつけようがなくなった。だから、文章の末節をいくらか直した他はもとのままであると和辻はいっているが、実際には、かなり手を入れている。
 元になった私信というのは妻に宛てた手紙であるが、手紙に書かれている個人的な言葉が割愛されている。この和辻が妻に宛てた手紙も『妻 和辻哲郎への手紙(上)(下)』として刊行されている。それも実際には校正されているはずだが、私の印象では、元の手紙の方が和辻の思いが吐露されていて、はるかにおもしろい。
 八歳の孫が八十六歳の祖父と「文通」をしているという記事を読んだことがある(Cathy Alter, 'How my father and son’s pen-pal relationship became a lifeline for us all', The Washington Post, April 12, 2020)。七歳の誕生日に祖父からもらったタイプライターでレオは手紙を打つ。
 母親は次のように書いている。
「この新しいソーシャル・ディスタンシングの時代、私の息子と距離を埋めるのはZoomでもFaceTimeでもなく、古きよき時代のsnail mail(カタツムリ便)だ」
snail mailというのは、電子メールに比べて時間がかかる通常の郵便のことである。しかし、その郵便による文通がレオと祖父を結びつけた。レオの手紙は「コロナ禍の小さなタイムカプセル」です。孫のタイムカプセルを開ける時の祖父の喜びが私にはよくわかる。


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