左手の魔「平川探偵事務所ミステリーファイル」File1逆さま少女と人形使い①
この作品のエンディングで刑事を辞めた平川さんの、その後の物語です。
きみ歌うことなかれ、闇の旋律を。きみ語ることなかれ、魔の戦慄を。 最果ての城の姫サーガ
(Dark Castle)
♦︎あらすじ
「その同僚には、わたしが毎日のように見ているあの人形が見えていない。そんな変な人形なんて見たことがないって言うんです」
奇妙な事件の裏に隠された罠。
本来、敵のはずの存在から受けた "人形使いに気をつけて "という警告は何を意味するのか?
左手に魔を退ける不思議な力を宿した探偵が奇怪な事件を追うハードボイルド・ホラーアクション。
♦︎登場人物
平川篤史(ひらかわあつし)
刑事上がりの私立探偵
左手に魔を宿す
蒼井冴夜"先生"(あおいさや)
平川を裏でサポートする
本業は実話怪談作家
白石瑠衣(しらいしるい)
作家志望のフリーター。
二十四歳。
実は国立大出身の才媛。
怪異に巻き込まれ平川と出会う
斉木佳乃(さいきよしの)
依頼人
都内のとある企業に勤めているOL
会社で奇怪な人形を見かけ、平川に相談する
"守護者 "(ガーディアン)
ある土地に生じた魔坑(デーモンピット)を人々から見えないように結界で封じている
敵でも味方でもない
Prologue
人間という材料の安価なこの街では、奔放な本能もなければ、異常なほの暗い情熱も入り込む余地はない。大鰐通りは新時代とまた大都会の腐敗を引き入れるために私たちの街が開いた租界であった。どうやら、私たちの資力はせいぜい紙製の模造品イミテーションや去年の皺だらけの古新聞からの切り抜きを貼り合わせたモンタージュ写真しか賄いきれなかったようである
〜ブルーノ・シュルツ『大鰐通り』より
奇怪な人形の話
「変だ、おかしいって気がついたのは、会社の同僚と雑談をしている時でした。その同僚には、わたしが毎日のように見ているあの人形が見えていない。そんな変な人形など見たことないって言うんです」
「なるほど」
依頼人は宅配会社の事務をしているという。年齢は、俺が見たところ二十代後半。警察に相談に行ったが相手にされず、心療内科に行けなどと失礼な態度で追い払われてしまい、どうしたらよいのかわからずに困っていた。ある日、何気なく見たネット掲示板で、奇怪な体験を取集しているサイトを発見した。
……もしかしたら助けてくれるかもしれない。
そう思った彼女は、藁にもすがる気持ちで自分の体験を綴ったメールを送り、それを読んだサイトの管理人である"先生"が、ここを紹介したというわけだ。
俺の事務所は浮気調査や人探しなどの一般的な依頼のほかに、特殊な案件も受けている。
二十年以上務めた刑事を辞めて探偵事務所を開いたのは一年前だ。俺に備わったある能力を、世のため人のために役立てようと決心したのだ。俺にそんな決心をさせたのはある人物の影響による。俺が揶揄と尊敬を込めて"先生"と呼ぶ人物の。
「今日はやることがある。だから明日の午後、客を装ってきみの会社へ行こう」
「私の話を信じてくれるんですね。ありがとうございます」
斉木佳乃(さいきよしの)と名乗った依頼人は、ほっとした顔をした。
「ああ。"先生"からの紹介だからな」
急に軽い耳鳴りがした。左手が疼くような感触が……。しかしすぐに消えた。少し疲れが溜まっているらしい。
「あのう。お支払いするご報酬は……」
「人間によるいたずらなら規定の料金をいただく。もしもそうでない場合は、いらない」
「いらない?」
「報酬はいらない。人間の仕業ではない場合はな」
「……ありがとうございます」
依頼人が帰ったあと、"先生"宛に、いつものようにメールを送る。依頼人がどんな相談をしたのか、内容を知りたかった。
同じ相談ごとでも、話す場合と文章にする場合とでは、比べてみると細かな部分で違っていたり欠けているなんてよくある。本人から聞いたこと以外にも、何か手がかりが見つかるかもしれない。
返事を待つあいだに、用事を先に片付けることにする。左手の手袋の具合を確かめながら、事務所の窓から外の様子を窺う。通りを行くまばらな人影は、傘を差している方が多かった。雨はまだ止んでいないらしい。
壁に掛けてあったレインコートを羽織り、俺は事務所を後にした。