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【こんな映画でした】438.[6才のボクが、大人になるまで。]

2022年 2月 4日 (金曜) [6才のボクが、大人になるまで。](2014年 BOYHOOD 165分 アメリカ)

 リチャード・リンクレイター監督作品。今作は2015年 9月16日 (水曜)に映画館で観ている。そんなに気に入った映画というわけではないが、気になって今回、中古を購入して観た。二度目ということに。

 最初に観た時の感想と、今回も変わることはなかった。ダメ男の夫たちと、気丈なしかし男運が悪いというか、男を見る眼がない妻(母親)。それでも子どもたちは、結構良い感じに育っている。それはもしかしたら最初の夫・父親の影響かもしれない。ここではイーサン・ホークが演じている。

 一つ面白かったのは、父親が息子に16歳になったら自分が今乗っているビンテージカーをプレゼントすると言った・言わないの話。子どもの方はそのように思い込んで記憶しているが、親の方はすっかり忘れているのだろう。よくあることだ。

 あと印象に残ったのは政治的なことでは、大統領選挙でオバマを支持し、共和党のマケインの看板を引っこ抜くシーン。母親オリヴィアの三番目の男性はイラク帰りの志願兵だった。どうもそのトラウマからかやはり酒浸りのようであった。二番目の夫も大学の教師ながらアル中であった。そして暴力的であった。これもアメリカの一面か。

 以下に前回の感想を再録。

2015年 9月16日 (水曜) [6才のボクが、大人になるまで。](2014年 BOYHOOD 165分 アメリカ)

 そもそもこの映画を観ることになったのは、生徒のH君の今年1月19日付のメールで、観てきて良かったとのことがあったので。

 これがアメリカのごく普通の家庭・家族の有り様なのだろうか。その特徴は、まず極めて家父長的で父親の家族を支配しようとする意志が強く出ているということ。そこまでしなくても、言わなくても家族はやっていけるだろうと思うくらい、過剰なものだ。それは自信のなさの表れ、小心さの裏返しなのではないかと思う。

 そして妻・母親がその過剰な、ときに暴力的な夫・父親に対して、退いている。ここでは再婚の夫ということでの引け目があるのかと思う。最終的に二人目の夫も、三人目の夫も酒に溺れるダメ男であったわけだ。

 このあたり母親・オリヴィアの男運のなさというか、見る目のなさが露呈しているともいえるのだが。もっとも彼女は大学の教師になるくらいのインテリではあったが。

 印象的なシーンとしては、メイソンの高校卒業を祝うホームパーティーがある。向こうではあんなにまでも「卒業」をみんなで祝うものなのか、と。「入学」ではなく、「卒業」を。18歳というのが重要な歳のようで、子どもたちもこの年をもって、高校を卒業して「大人」として独立していくということなのだろう。

 それにしても「女は弱し、されど母は強し」である。逞しい。ダメ夫たちから子どもを連れて逃れ、ひとりで彼らを育てていく。ただその延長上には、自分一人が家に残って、子どもたちは出ていくということで、人生の悲哀を感じることにもなるのだが。

 最後、メイソンが大学へ出発する時、とうとうその感情が噴出してしまう。あまりに家族を子どもを大事にしてきた20年あまりの時間に復讐されるかのようだ。自立できていないはずはない。なのにそこまで子どもに関わるというか、依存してしまうのだろうか。不可解である。

 それにしても6歳の時の可愛らしい彼メイソンが、たとえば15歳の誕生日のシーンなど、その隔絶した違いにあっけにとられてしまう。別の俳優が演じているならわかるが、そうではない同じ人物の9年後というわけだから、残酷なものだ。

 そして18歳。高校を卒業して、大学の寮へ入った日で映画は終わる。「少年時代」が終わるわけだ。ずいぶん老けた感じになっていた。ラストシーンは大学での友人たちとちょっとしたピクニックに出掛け、ガールフレンドになりそうな女の子との会話で終わる。

 結構、哲学的な話というかやりとりをするのにも驚かされる。彼らはアメリカでの大学へ行くレベルなのだからかもしれない。

 メイソンの実父をイーサン・ホークが演じていた。見たことがあるなと思ったら[ガタカ]だった。母親のオリヴィエ役パトリシア・アークエットは知らなかった。

 意外と母と娘との葛藤のシーンは少なかった。やはり父と息子とのやりとりの方が多かったのは、主人公が「ボク」であったからだろう。将来の進路、大学のことやら、ガールフレンドのことなど結構やりとりがある。日本の父と息子の間には、はたしてそんなにもあるだろうかと思った。

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