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【こんな映画でした】234.[舞踏会の手帖]

2020年 4月15日 (水曜) [舞踏会の手帖](1937年 UN CARNET DE BAL Life Dances On or Christine or Dance Program フランス 109分、129分、130分、144分)

 なるほど、と感心しながら観ていたのに、最後の最後でまるでフィルムが切れたみたいな(まさしくカットである)接続の仕方で映画が終わっている。この廉価版DVDは「129分」となっていたが、調べてみると上記のように違いがある。

 日本のアイビィシーやアメリカのクライテリオン版では「130分」。ネットのIMDbと英語版ウィキペディアは「144分」とある。「腐ったトマト」は何と「109分」。映画館では二時間以内にカットして、一日に何度も上映するための措置であるようだ。致し方ないかもしれないが、映画がかわいそうというべきか。

 監督はジュリアン・デュヴィヴィエで[望郷]・[アンナ・カレニナ]を観ている。主役のマリー・ベルは撮影当時36歳で役柄と同じ年齢であった。

 20年前(1919年 6月18日)の手帖に書かれた人たちを、順に訪れるというオムニバス。未亡人となったクリスティーヌが、これからの人生をどう送っていけばいいか、と相談するシーンから始まる。

 彼女は、人生を楽しめとアドバイスされるのだが、「楽しみ方を教わってこなかった」「青春の思い出がないの」、と。そこでピアノの上に置かれた手帖が開かれ、書かれた人たちの名前が読み上げられる。

 手帖の名前についてクリスティーヌは、「恋人よ。私を愛してると言った男たち。思い思いに愛してくれた。踊りながら愛の言葉を。今も耳の残っている"死ぬまで愛します"。手元に残ったのは、名前だけ」。

 その初めての舞踏会についてクリスティーヌは、とても良い思い出としているようだが、「思い出を美化してるだけ」と言われている。おそらくそれが現実であり、その会場にはシャンデリアなどはなかったのだろう。伏線となっている。

 順に会っていくなかに、ひとり神父がいる。そこでの会話でなるほどと思ったことがあった。「幸せな幼少期がなければ、善を信じられません。もう一つ必要なのは、心に流れる音楽です」、と。そして伝言があるかとのクリスティーヌの問いに、「彼女は私の心の中にいて、忘れたことはないと」。つまりクリスティーヌこそが、その思い人であるということであろう。

 最後のエピソードになるのは、当の相手がやはりというか、もう亡くなっていてその息子に出会うことになる。二言三言話したところでカットされ、次はもうその彼の初めての舞踏会に切り替わる。これは何らかの理由で数十秒か数分が失われたのではないかと思えるような唐突な切り替えであった。
 そしてクリスティーヌはその息子に言う。「初めての舞踏会は心に残るわ。初めて吸うタバコと同じ。その程度のもの」。

 このセリフのあと、クリスティーヌはテーブル上のバッグを手にして出ていく。カメラはそのテーブル上に止まったままで、例の手帖、そしてくゆるタバコを映し続け、パンして壁の向こうで踊る人たちの姿をシルエットで見せて、終わる。このシルエットは都合三回出てきたか。クリスティーヌの幻想であろう。

 さてこの映画を観ることによって、私も人生観を改めようと思った。同窓会をはじめとして、過去の私と関わりのあった人たちと再会し、話をしたいという思いをもう封印しよう、と。その行為の虚しさに気づかされたということ。

 人は変わる。そしてたいていの人は、それほど幸せな人生を送ってないのだ。それを会って、見て、確認するなど、無惨の一語に尽きる。しない方が良い。避けることまではしなくても、こちらから積極的に会おうとはしない方が身のためだろう。そんな風に思わせられる映画であった。

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