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【こんな映画でした】56.[ポネット]

2021年 1月 6日 (水曜) [ポネット](1996年 PONETTE フランス 99分)

 『中条省平の「決定版! フランス映画200選」』(2010年)に紹介されていたもの。わずか4歳のヴィクトワール・ティヴィソルがポネットを演じる。子役といっても、この歳で、と思ってしまう。先だって観た[ショコラ]は彼女の9歳時の作品であった。
 ジャック・ドワイヨン監督作品。初めて。亡くなったママをマリー・トランティニャン、パパをグザヴィエ・ボーヴォワ。

 ママの運転する車に同乗していたポネットは、その事故(わざとかもしれない)で左腕にギブス。そのギブスが取れるまでの、比較的短い期間のことを描いた映画である。要するにポネットが母の死をどのように受け容れていくか・受け容れられるに至ったか。

 母親の死をその子供もにどう伝えるか。日本社会でも往々にして「お母さんは天国に行った」のような話をして説明にかえているのかもしれない。もちろん宗教的な意味での「天国」ではない。この映画のフランスではカトリックなので、「天国」はまさしく宗教上の「天国」ということになるのだろう。しかし、そもそも4歳の子供が「死」というものを理解できるのかどうか。まずこれが問題となろう。

 子供からしたら、「死」というものは、もう自分の前に「その人が戻ってこないということ」としてしか理解ができないわけだ。そこで大人たちがいろいろと言い方をかえて説得しようとする。「天国」に居るのだ、とか。
それでもそこには無理がある。ある程度の年齢に達しないと、理知的に「死」を理解し、受け容れていくことはできないだろう。

 今作ではたまたま4歳の子供だが、何歳であろうと肉親の不慮の死というものは、そうやすやすと受け容れられるものではない。そういう意味で今作は、死の受け容れというものについての一つの仮説とも言えようか。

 この映画を観る観客というか私たち大人は、主人公が4歳の子供であるから、より涙してしまう。しかし、その涙の質はポネットのそれとは違う。すでに様々な死を経験してきた者と、いま人生が始まったばかりの子供とでは、それは違って当然だろう。

 少し確認したいと思いザッともう一度流して観たが、父親がこの事故を起こした母親を厳しく責めるのがやはり気になった。だから自殺だったのかとも思えるのだ。その原因は夫婦の不仲とかがあるかもしれない。

 ラストシーンはファンタジックにしてある。そうでもしない限り収まりがつかない。それは、母親の土葬された墓場で、ポネットが土を払っていくうちに泣き寝入りする。すると、そこへ母親が現れ、ポネットにどうして自分が死を選んだのか、と話をする。そして最後にもうママは戻ってこないから、これからはパパと一緒に人生を送って、と。楽しむことを学んでほしい、と。
 そのように告げて母親は消えていく。そこへ父親が迎えに来て、車で立ち去り、カメラはそのままチルトアップして枯れた木々を映しフェイドアウトする。

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