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【こんな映画でした】118.[愛は霧のかなたに]

2021年 9月18日 (土曜) [愛は霧のかなたに](1988年 GORILLAS IN THE MIST: THE STORY OF DIAN FOSSEY アメリカ 129分)

 マイケル・アプテッド監督作品。[ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島](2010)を観ている。シガーニー・ウィーヴァー(撮影当時37歳)は、主演なのだから当然とはいえ熱演である。マウンテン・ゴリラたちとの交流は凄いものだ。どこまで訓練(?)されたゴリラなのか、あるいは「ぬいぐるみ」なのかは分からないが、それは瑣末なことか。

 映画なので少しラブロマンスが入っているが、男はやはりゴリラたちと一生を過ごす気はなく立ち去っていく(何ともはや)。終始ガイド役のセンバガーレ(俳優はジョン・オミラ・ミルウィ、年齢などのデータなし)が彼女に付き添う。彼の協力なくしては実現しない事業であったろう。

 原題は「霧の中のゴリラたち」だが、どうしても「愛」を入れないことには気が済まないのが日本の配給会社ということか。題だけ見て映画館にやって来た人は(まず、いないだろうが)驚嘆するだろう。

 もともとダイアン・フォッシーという人の実話に基づくようだが、時代は1966年。最終的に彼女は犠牲となり、それが切っ掛けで動物たちが保護されることになるということなのだが、人が死ななければ物事が動かない世の中であるのは悲しい。

 そもそもゴリラの捕獲(密猟も含め)で、収益を得ざるをえない国家や人々の貧困が問題だ。先進国がその動物園のために、ゴリラたちを金で求めてくるというのも原因であろう。私たちは動物園というものを、安易に考えすぎていたようだ。

 昔、三崎亜記の小説(『バスジャック』所収「動物園」)を読んだ時も、ここまでは思い至らなかった。動物園のために捕獲され、家族と切り離され、異境の地へ送られる動物たちの身になって考えたことがなかった。

 そんな非情なことを平気でやってしまう人間というものが、つくづく嫌になる。私も子どもたちと動物園へ行っていたのであるが、そういう問題性には気付いてなかった。

 狩猟民族たちだけが、そのように残酷なことが平気でできるのだろうか。誰でも金のために動物たちを平気で殺すことができるのだろうか。ハンティングの成果として動物の首を切り取り、部屋に飾るということも、あらためて考えてみるとおぞましいことだ。ゴリラの場合、手を切り取って「灰皿」にしていたようだ。もう言葉がない。

 絶滅危惧種とされる動植物に対してどのように考え対処していくべきかを考えさせる映画でもあった。

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