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【こんな映画でした】287.[存在の耐えられない軽さ]

2021年 2月17日 (水曜) [存在の耐えられない軽さ](1988年 THE UNBEARABLE LIGHTNESS OF BEING アメリカ 173分)

 フィリップ・カウフマン監督作品。この題名は気になっていて、早く見たいと思っていた映画。ただそのパッケージの写真が、いかにもポルノっぽいので敬遠していた嫌いがある。ただ逆に考えると、そのように見せかけながらということであったのかもしれない。

 主役トマシュは撮影当時30歳のダニエル・デイ=ルイス。いかにもプレイボーイといった演技をしている。妻となるテレーズ役をジュリエット・ビノシュ、撮影当時24歳。素朴な可愛らしさがある。それはサビーナ役のレナ・オリンに比べて。こちらは大人の女の妖艶さがある。撮影当時32歳。

 時代背景が最初にテロップで出る。1968年のプラハでのこと。つまり「プラハの春」がソ連の戦車によって弾圧されるという、まさしくその少し前から話は始まる。この映画は、一つはこの事件とその後のチェコのことを、当然、批判的に描く。

 いま一つは、そこに住むノンポリでプレイボーイのトマシュが、その人生観を変えていく有様を描いているとも言える。つまり共産主義政権に服従しないためにその脳外科医としての仕事を奪われるということに(窓ガラス拭きをしている)。

 この「being」には、「存在(existence)、生存、人生(life)、本性、本質」という意味からして、邦題のように「人間の存在」ということが第一義的に考えられるだろう。それ以外に、彼らと飼っていた犬の「人生」もあれば、「人間存在の本質」といった意味もある。いずれも「耐えられないくらいの軽さでしかない」という現実があるということ。

 戦争や動乱においてこそ最も私たちの「存在」は軽いものになる。それこそ耐えられないくらいの軽さである。そんなところまで視野に入れた映画なのかもしれない。そして結末は、まさしくその通りのことになる。もっとも、トマシュとテレーズは最後の瞬間まで、幸せであったことは間違いないだろうが。

(100分 テレーズ)「人生は私にはとても重いのに、あなたにはごく軽いのね。私、その軽さに耐えられないの。私は強くないから」
【たしかに世の中には、軽々とこの人生を生きている人がいるものだ。羨ましい。】

(117分 トマシュ)「臆病がしだいに生活の習慣になる」
【権力に屈していく人々の状況を、皮肉や批判ではなく、淡々と実感をこめてテレーズに語る。】

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