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【こんな映画でした】295.[ジャッカルの日]

2021年 4月12日 (月曜) [ジャッカルの日](1973年 THE DAY OF THE JACKAL イギリス/フランス 137分)

 フレッド・ジンネマン監督作品。ジャッカルにはエドワード・フォックス(撮影当時35歳くらいか)で、脇役だったかもしれないが何本か観ている。敵役のクロード・ルベル警視をミシェル・ロンズデール(撮影当時42歳)で、[薔薇の名前](1986)とそっくりだった。

 基本は国家悪、というべきものか。国家が植民地支配をその持てる軍事力を使ってやり、その植民地における独立運動を弾圧し続けてきたのがこれまでの大国の歴史だ。

 フランスもアルジェリアにおいてそれをやってきた。この映画の暗殺の標的はドゴール大統領(当時)である。政治的な判断によりアルジェリアの独立を認めたために、彼はそれに反対する勢力から命を狙われることになった。

 その代表的な組織がOASであった。その組織の成員による暗殺計画が失敗したことにより、殺し屋を雇うことになる。それがこのジャッカルというわけである。殺し屋というのは、何らの良心の呵責もなく人を殺していけるようだ。

 その手口というか、有様が克明に描かれていく。これが殺人計画でなければ見事なことなのだが。まずは準備の凄さである。パスポートも二通用意し、途中でまた別人に変わってしまう。

 いろんな人を利用するが、自分のことが知られたら即刻殺してしまうという非情さを持ち合わせている。見事なほどである。カネのためなのか、自分のプロとしてのプライドのためなのか。

 この暗殺計画を阻止する警察がまた凄い。人権侵害と思われるほどの強権を発動する。所詮、国家の組織というものはそういうものだろう。彼らは国民のためにあるのではなく、国家のために存在するのだから。

 ラストシーンなど脚本的にやや不可解な点もないではない。つまり狙撃する部屋に警官と警視が乗り込んできた際、初めに入ってきた警官をジャッカルが射殺するのは分かるが、次の警視に対しては彼が銃を持っていなかったので腕力で制圧すればよかったのに、銃に玉を込めようとしている間に、警視が警官の取り落とした自動小銃を拾い、ジャッカルを射殺するのだった。ジャッカルの読み違えかもしれないが、やや不可解だ。もっともその後、彼が無事に逃げおうせるかどうかも疑問ではあるが。

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