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【こんな映画でした】454.[近松物語]

2022年11月 9日 (水曜) [近松物語](1954年 102分)

 溝口健二監督作品。見事なものだ。素人の私でも上手いなと思う。脚本も良く出来ている。というか脚本が良いからこのような作品になったということだろう。もとは実話として、このような事件があったようである。

(おさん)なあ、茂兵衛。人の運ほど分からんものはないなあ。たった一日の間にこんなことになってしもて。
(茂兵衛)お気の弱いことをおっしゃいますな。明日(あした)のことは、また明日考えましょ。
【逃避行に入ってのおさんの述懐。これは誰が聞いても、その通りだなと思わせられる。あっけないものだ。】

(おさん)私のために、お前をとうとう死なせるようなことしてしもうて。許しておくれ。
(茂兵衛)何をおっしゃいます。茂兵衛は喜んでお供するのでございます。......いまわの際なら、罰も当たりますまい。この世に心が残らぬよう、ひと言お聞きくださいまし。茂兵衛は、茂兵衛はとうからあなた様をお慕い申しておりました。
(おさん)ヘッ、私を?
(茂兵衛)はい。さあしっかり、しっかり、つかまっておいでなされませ、さあ。おさん様、どうなされました。お怒りになりましたやろか。悪うございました。
(おさん)お前の今のひと言で、死ねんようになった。
(茂兵衛)今さら何をおっしゃいます。
(おさん)死ぬのは嫌や。生きていたい、茂兵衛。
【小舟からいよいよ入水自殺をしようという時の、二人のやりとりである。見事だ。おさんはお家様という主人の立場にあるので、好感を持ってはいただろう、この茂兵衛に対しても、それが愛情であるとは自覚してなかった。しかしこのいまわの際に発せられたひと言によって、止めていた堰が一気に切られたように、本当の思い・真情があふれ出してきたわけだ。実はそうだったのだと気が付く瞬間である。それを聞くまでは、死ぬのは自らの名誉のためのみであったのが、俄然、愛に目覚めればともに生きていたいという気持ちが噴出してくるのは当然のことだろう。本当に愛し愛される相手と、ともに生き・ともに暮らしたいというのは自然な発露である。ましてお金のために結婚させられてきて、愛されることも・愛することもない長年の人生を送ってきていたわけであるから。この劇的な転換が実にうまく作られてある。名シーンである。メイキングによると、溝口監督もこの映画全体の最も肝要なところだとして、この脚本を見て、これだ・これでできた、といった感想を持ったようだ。】

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