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【こんな映画でした】34.[愛と宿命の泉]

2022年 2月18日 (金曜) [愛と宿命の泉 PART I /フロレット家のジャン](1986年 JEAN DE FLORETTE フランス/イタリア 121分)

 クロード・ベリ監督作品。ジェラール・ドパルデュー(撮影当時37歳)がせむし(背骨が後方にもり上がり、弓状に湾曲した病気)の役でジャンを演じている。[ノートルダムのせむし男]という映画があったことは知っているが、彼らが主人公になる映画や小説は多くはないだろう。ということは、ここではそこに何らかの意味を持たせているということになる。いずれ分かるか。

 そもそもこの映画を観る切っ掛けになったのは、辻邦生の本『美しい人生の階段 映画ノート'88~'92』(1993年)に紹介されていたからである。

 率直に言って、この映画は人間の醜悪さを描く。それもどこにでもある、ありふれた醜悪さだ。私などもそうだがニコニコと近寄ってきて、挨拶をしてくる人間が悪い人だとは、まず思わない。善良とまではいわなくても、ごく普通の常識人と勘違いしてしまう。ところがそのような人たちがが必ずしも良い人間とは限らない、というのが現実の世の中だ。どんな魂胆でやって来ているのか。そんなことまで考えないとやっていけない人生というのは何なんだろうとは思うが。

 彼らも、ここは田舎ではあるがそれは別としても、何故かくも新入の人間に対して不親切なのであろう。警戒心がまず先立つのかもしれないが、まだ彼とその一家は、彼らに何の不利益ももたらしているわけではないのに。

 一つ不可解なのは、この主人公の夫であり父親であるジャンはウサギのことなどいろいろと調べてきているのに、肝心の水(農業用水)のことについては無知なのだ。それが最終的に命取りになる。もちろんそこには悪意の存在があったからだが。

 ラストシーンはまだ幼い娘マノンが、家を追いだされていく日、泉の水が出てくる場所を見つけてしまうのだ。何ともとんまな話だが二年間の深慮遠謀の果て、ついに手に入れた土地のことが嬉しくてイヴ・モンタン扮する隣人セザールとウゴラン(ダニエル・オートゥイユ)がマノンたちの出発と同時にその場所へ行き、水を止めていた栓を抜いていたのだ。水がきちんと出てくるのを確認するために。

 不審な物音に気が付いたマノンが、その隣人たちの作業をしている場所にソッと近寄り、見てしまうのだ。そして何かに気が付くことになる。ただ、この時点ではどこまで幼子に理解できたかは不明である。続編で明かされることになるようだ。

2022年 2月22日 (火曜) [愛と宿命の泉 PART II/泉のマノン](1986年 MANON DES SOURCES MANON OF THE SPRING[米] JEAN DE FLORETTE II フランス/イタリア 114分)

 [愛と宿命の泉 PART I /フロレット家のジャン](1986年 121分)の続編。製作年が同じなので同時期に撮影されたのだろう。時間の経過としては、あれから10年である。ウゴランが30歳だと言っている。

 10年前に幼子であった娘マノン(エマニュエル・ベアール、撮影当時20歳)も18歳ということで、しかも彼女はこの父の亡くなった地を離れずに暮らしていたことが分かる。この間、水の秘密については、彼女は何もしてこなかったようなので、やはり10年前のウゴランたちの行為を目撃したときは、まだ全容は分かっていなかったということだ。

 パート1では、マノンたちの生活が重点的に描かれていて、隣人のセザールやウゴランたちのことは少ししか描かれていない。パート2では、父親ジャンが亡くなっているので(母親も他の地域へ移住している)、このフロレット家の話はほとんどない。つまりセザールとウゴランのやりとりが中心となっている。

 真実というものは、ちょっとした切っ掛けで露見する。ある日マノンが自分が仕掛けた鳥を捕るための罠を回収している時、鉄砲を持った二人の村人に遭遇する。もちろん彼女はすぐに身を隠す。彼らは一息入れながら、10年前のジャンたちの水のことについて話すのだった。

 村人たちは、ジャンの土地から水が出ることをみんな知っていたようだ。しかしそれを彼らに教えてやろうとしたら、家族に余計なことにかかわるなと釘を刺されてしまう。その結果として、ジャンの事故死を招いてしまったことを二人で話しているのだ。

 それを聞いたマノンは発狂状態になる。ついに一家が不幸となった原因が分かったからだ。それでもすぐさま何かができるわけではない。その後もこれまで通り、山羊を飼育する生活を続けるのだった。ある日、山羊が迷い込んだ岩場で見えなくなる。それを探しに行ったマノンが偶然、村の水源を洞穴の中に見つけることになる。

 マノンはまずその水源の周囲にあった土を流し込み、飲めないように汚してしまうのだった。これが第一段階。日をおいて今度は、その水源を石で塞いでしまうのだった。まったく水が流れ出てこないように。あたかもセザールとウゴランが塞いだように。それは復讐である、父親を死に至らしめた責任は村人すべてにあるのだから、と。

 まもなく水が涸れる。セザールやウゴランたちの井戸から始まって、村の中心部でも水が出なくなり、大騒動となる。村長は近隣からの給水車を依頼する一方、原因追及のために専門家を呼ぶ。そしてその結果報告の集会が開かれるのだが。

 水が出なければたちまち農業が成り立たないわけで、そのために興奮した村人たちが村長たちを攻撃するばかりで、まともにその専門家の説明を聞こうとしない。かろうじて専門家が仮説として2つまで説明するのだが(主に自然現象としてのもの)、そのまどろっこしさに村人たちは怒り、会場は騒然となる。

 専門家が第三の仮説を話そうとした時には、村人たちは興奮してもはや聞く耳を持たず、紛糾したまま流会となる。専門家もそれなら、と立ち去ってしまう。私の推測だが、おそらくその第三の仮説こそがマノンのやったことを指摘するものではなかったかと思う。つまり源流の元を誰かが探り当て、塞いだ、と。

 この後のことは触れないでおこう。その後マノンがどうなったか。ウゴランは、あるいはセザールはどのような人生となったのか。フランス映画というか、ヨーロッパの映画はハッピーエンドにはしてくれない。現実の人生の一端を私たちに垣間見せてくれるのである。どっしり重いものを私たちに残して。

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