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【こんな映画でした】799.[ロリータ]

2023年 6月30日 (金曜) [ロリータ](1961年 LOLITA イギリス 153分)

 スタンリー・キューブリック監督作品。私は「ロリコン」という言葉を知っていても、その実際・実態というものを知らないままに、その方面の映画だとして敬遠(?)してきた嫌いがある。

 ロリータにスー・リオン(撮影当時15歳)、義理の父親ハンバートになるのはジェームズ・メイソン(撮影当時51歳、[邪魔者は殺せ](1947年)を観ている)。初めて観るが、単純化すれば「真っ当な普通の女の子と、支配欲が強く大人の女性との関係を築けない中年男性の話」といったところか。

 だから紹介された家の寡婦(シェリー・ウィンタース、撮影当時40歳)であり、ロリータの母親の方が女性としてみれば、愛情の対象になるところだ。ところがハンバートは庭にいた彼女ロリータを見て、直ちにその家に決めたのだった。そのあたりの中年男性の機微をジェームズ・メイソンが、その表情で表現している。

 大人の女性を愛せない男というのは、結局、自分が支配できる(と思っている)年下の女性を愛する(?)ことになる。つまり大人の女性は、男の支配に服さないからであり、その点、少女であれば完全に支配できると勘違いしているのだ。

 母親が交通事故(自殺?)で死んだ後の、ハンバートのロリータに対する支配の有様は異様としか言いようがない。常軌を逸しているのだ。それは母親のそれと同等か、さらに異性愛がからむのでもっと凄いものであるかもしれない。

 そんな義理の父親から逃げ出すために、ピーター・セラーズ扮する脚本家とおそらく打ち合わせをして、学校を辞め、父親と旅に出ることを承諾するのだ。その途中で、仮病であったかもしれないが入院、そしてハンバートに内緒で脚本家とともにそこを脱出する。それから3年が経つ。

 手紙がハンバートのもとに届く。その後の経過が分かる。もう既に結婚していて、妊娠。まもなく子どもが生まれることになる、と。で、お金の無心のために手紙を書いたのだった。

 ハンバートはお金を持って、彼女のもとに飛んでいく。その時でもまだしつこく、こんな惨めな生活を捨てて私と一緒に生涯を過ごそうなどと言っている。どこまでいっても楽観的というか、相手のことが見えてない・考えられない人物像であるようだ。

 ロリータから一緒に行くのを拒否されて、大元の原因はあの脚本家だと知り、復讐に向かうことに。これが実はオープニングシーンの10分余りのドタバタ劇だったのだ。ラストシーンはオープニングシーンと同じように繰り返していき、中略で撃ち殺すシーンを出して映画は終わる。あとはテロップで、この殺人事件の裁判が始まる前にハンバートは病死した、と。

2023年 7月 1日 (土曜)  かつて次のように。
「2018年 4月13日 (金曜) 晴れ、Amazonで二種類の[ロリータ」の始めの方を見較べてみた。車で走ってくるのだけは同じだが、その後の展開はかなり違う。それと古いキューブリック監督のはモノクロ。あと問題のロリータだが、私の感覚にはとてもではないが合わなかった。あれが向こうの方では「妖精」なのかもしれないが。それと我慢して最後まで観たら、彼女たちが素晴らしく見えるようになったのかもしれないが。今の私ならロリータ役はシアーシャ・ローナンだろう(笑)」

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