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【こんな映画でした】175.[山河遥かなり]

2020年 2月10日 (月曜) [山河遥かなり](1947年 THE SEARCH アメリカ 105分)

 上手い、泣かせる、などと言えば余程おセンチな映画の様に思われるかもしれない。ストーリー展開は常套的といえばその通りだろうが、それでもやはり上手い。最後にはヒヤヒヤさせながら、そしてその感動のシーンは一瞬でサラッと描いて終わる。潔い終わり方だ。実に上手い。

 これほど悲惨な歴史を描きながら、私たちにひどい心理的ダメージを与えることなく、つまりナチスのやったことに対する声高な批判はせず、戦争のために大変な目に遇うことになった子どもたちの姿を淡々と描くことで訴えてくる。抑制された表現が、更なる効果を生むということ。演説でもそうだ。声高なそれは説得力がないということ。

 監督はフレッド・ジンネマン、少年カレルはイワン・ヤンドル。良い顔をしている。撮影当時11歳くらい、役柄と同じ年齢であったようだ。母親はヤルミラ・ノヴォトナ。ラストシーンでの演技は上手い。一旦、通り過ぎていったカレルに気がついて振り返るシーン。

 子どもたちの救済機関での女性(マレー夫人)はアリーン・マクマホンで、渋い演技だ。残念ながらこれらの三人についてはもう観る機会がないようだ。一方、カレルを援助するスティーブ役はモンゴメリー・クリフト。これからも何本か観ていくことになる俳優で、格好いい。

 撮影は当時アメリカによって占領されていたドイツでのもの、と。建物の瓦礫は本物だということだ。本当に無惨に破壊され尽くしている。

 邦題は見事な雄大な気宇のものだが、原題は単に「捜索」。母親がわが子を、子どもが母を捜索、探し求めるということ。実際に戦争孤児ともいえる多くの子どもたちが存在したようだ、日本同様。その中からこのカレルとその母親を描いたということ。典型的な例として。

 映画に限らないが大きなテーマを大きなままに描いても、私たちには伝わりにくく分かりにくいものだ。そこはわずかな例であっても典型的なものを丁寧に取り上げる方がいいということ。今作はそういった映画ということになるか。

 興行成績は芳しくなかったようだが、アメリカ社会や世界に対して影響を及ぼさなかったのだろうか。

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