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【こんな映画でした】317.[ドゥ・ザ・ライト・シング]

2021年 8月18日 (水曜) [ドゥ・ザ・ライト・シング](1989年 DO THE RIGHT THING アメリカ 120分)

 スパイク・リー監督作品。何とも凄まじい、しかし公平に客観的に黒人のことを描いていると思う。もちろんそれは、監督が黒人であるから可能だったと思う。

 何よりショックだったのは、あれほどまでにしてくれていたイタリア系アメリカ人サルに対して、ムーキーと知恵遅れの写真売りの男が最後に裏切るということである。人間の善意というものは、ついに他人には伝わらないということかと慨嘆したくなる。

 そういえば今も「恩を仇で返す」という言葉があるように、古来、人間というものはそういうものなのだろう。(私だってその職業生活において、結構そうされてきている。裏切られてきている。それが人間であり、それが人生というものだろう。もっと早くにこの映画を観ていたら、その後の私の人生観も変わっていたか。今からでも遅くない、過去は振り捨てること。)

 黒人だからそんな悪さも平然とできるというのでは、もちろんない。人間にはそのような面が伏在しているという理解をすべきなのだ。何か切っ掛けがあれば、だ。

 映画において、一般にややもすれば差別で苦しむ人の立場で、といった安易な描き方をしてしまいがちだ。しかしそれは、やはりまずかろう。この点、この映画はシビアにシリアスに描いているのが凄いところだ。

 ともかく簡単に分析して分かり、解決していける問題ではない。一つ気が付かされたことは、警官が暴力を振るう人間を制圧するときのこと。最近もアメリカで頻々と黒人が警察官の制圧により死亡する事件が報じられているが、私はそれらは警察官の過剰な反応によるものではないかと疑っていた。

 しかしこの映画での制圧シーンを見てやや変わった。というのも屈強な大男が素手であれ暴れたら三人がかりでようやく抑えこむことができるくらいのものであるということだ。下手したら警察官も大怪我をさせられる可能性が高い。そのせいか、一人の警察官は警棒を首に当てて制圧していた。映画ではこれが致命傷となって死亡したとしている。

 そうか、こういうシチュエーションだったのか、と現実の事件の有り様がうかがえるのであった。つまり死なせてしまうくらいに押さえつけないと制圧できない現実があるようだ。そこまでしなくてもと私たちは思うのだが、もしそうすると逆襲されて殺されることにもなりかねない現実があるということだろう。

 長らく気になっていた映画だが、ようやく観ることができて良かった。しんどくはあるが、人間というもの、人間社会というものを知っておくための良い映画であると思う。

 そして今もなお、このようなことが現実には続いているということ。場合によっては権力・為政者によってこういうトラブルがわざと起こされている蓋然性は否定できないということだ。陰謀が横溢しているのだから、黒人問題も政治的に大いに利用されているのではないだろうか。

 原題の「ドゥ・ザ・ライト・シング」、すなわち「正しいことをせよ」というのは作中一度発せられるセリフだ。メイヤー(市長)とあだ名で呼ばれる飲んだくれの老人が、出勤していくムーキーに言っている。象徴的な、そして最後のシーンへの伏線ともなる。

 何が「正しいこと」なのかは、もしかしたら人によって違うかもしれない。ムーキーにすればあのガラスを割ったことがそうなのだと思ったのかもしれない。彼にとって、彼の人生を生きていくための「正しいこと」だったのかも。もちろん一般的には到底認められるものではないが。

 そう考えると皮肉な題名でもある。おのおのが信じるところを実行することが「正しいこと」なのかもしれない。たとえそれは他人には認められなくても。

 ラストシーンのテロップで、キング牧師とマルコムXの言葉を出しているが、後者はある程度の暴力は許容されるとする部分が引用されている。自らの生命を守るための正当防衛的な考え方と解釈すればいいのだと思うが。

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