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【こんな映画でした】495.[復活]

2020年10月14日 (水曜) [復活](2001年 RESURREZIONE RESURRECTION イタリア/フランス/ドイツ 180分)

 タヴィアーニ兄弟監督作品。2本目となる。トルストイの原作小説は未読。主役のカチューシャ役はステファニア・ロッカ、撮影当時30歳くらいか。[ヘヴン](2002)や[リプリー](1999)に出演しているようだ。
貴族ネフリュードフ役はティモシー・ピーチ、撮影当時38歳。初めて。なかなかよく演じているのではないか。

 ラストシーンが20世紀の開幕というところで終わるので、この話は1880年代頃のロシアの状況なのだろう。貴族とそれに隷属する農奴たち。新しい社会主義的な思想に感化された若き貴族ネフリュードフが、叔母の家である種過激な論文を書く。その時に出会ったのがカチューシャである。

 その三年後に彼がこの叔母宅にやって来た時には、彼はもうどっぷり貴族社会の一員としての考えに宗旨替えをしていた。だから叔母の家に来るや、三年前に書いた論文の束を燃やしてしまう。そしてカチューシャを女性として扱ってしまう。

 ネフリュードフは、カチューシャとのことを「原罪」のように心に深く刻み込まれるのだが、まだそれに気付くには10年ほどの時間が掛かる。つまりカチューシャが娼婦として働くことになり、その中で無実の罪に陥れられてしまってからのことになる。

 劇的な再会は、何と裁判所でである。被告人と陪審員という立場の違いで。ネフリュードフは直ちにそれがカチューシャであると気付くが、彼女の方は気がつかない。そして有罪判決。無実であると叫びつつ、収監されていき、シベリアへ。

 結局どうなのだろう。ネフリュードフはその原罪とも言うべき恥ずべき罪の許しを請うために結婚を申し込み、シベリアまで行動をともにしたのだろうか。一方カチューシャは、ついにそのネフリュードフの愛情を信じられずに、つまり単に贖罪のための結婚としか考えられなかったのだろうか。カチューシャも本当はネフリュードフを愛しており、結婚したかったのだろうか。ただそれは名ある貴族の出であるネフリュードフを不幸にすると、客観的に考えられたから身を引いたのであろうか。

 何が「復活」なのだろう。映画の始めの方で復活ミサにネフリュードフが参列し、そこでカチューシャと一緒にロウソクをもっているシーンがありはするが。

 「復活」とは何かに目覚めることなのだろうか。政治犯と形ばかりの結婚をして、恩赦でモスクワに帰るカチューシャはその後どのような人生を送るのだろうか。ネフリュードフはモスクワ行きの列車には乗らず、シベリアの一寒村の酒場で新世紀を迎えることになる。

 そこでの人たちが、新世紀の到来にちなんで願い事をそれぞれ口にする。ネフリュードフは逡巡したあと、「人を愛すること」、とつぶやく。そしてラストシーン、列車が画面の上方向に走り去っていくのを俯瞰して終わる。

 カチューシャにとっての「復活」とは何か。ネフリュードフにとっての「復活」とは何なんだろうか。それを突きつけたまま映画は終わる。三時間。

 カメラアングルや風景描写などが印象的であった。部屋の中、人物が向こうから手前に歩いてくる時、始めは足元を映し出し、徐々にチルトアップして、その人物が誰であるかを映し出す、といったやり方も新鮮だ。

 三時間もの長い映画を再度視聴することは簡単ではないが、できるだけ近い機会にそれを実現したいものだ。映画は最低二回観なければ分からない。本も再読しなければ、その本当のところは分からないものなのだろう。

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