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【こんな映画でした】641.[イブラヒムおじさんとコーランの花たち]

2022年12月14日 (水曜) [イブラヒムおじさんとコーランの花たち](2003年 MONSIEUR IBRAHIM ET LES FLEURS DU CORAN フランス 91分)

 フランソワ・デュペイロン監督作品。初めて。16歳の男の子(モモ、モイーズ)にピエール・ブーランジェ、近くの雑貨店の主人イブラヒムにオマー・シャリフ。

 出て行ってしまった母親のあとに残された、モモと父親の二人暮らしの陰鬱な様が描かれている。お金にも困っているようで、父親は口うるさく言う。そのせいかモモは、その雑貨店で食料を買うのだが、その際に少し万引きをしている。もちろんイブラヒムは気づいており、とうとう何回目かの時、モモに言う。盗むならこの店で。つまり他の場所で盗むと大変なことになる、と教えるのだった。

 このようにして父親の不在、さらにその後、父親は解雇された後、家出をしてしまうので実質的に不在となる。そんな折にもモモには、イブラヒムが頼れる・相談できる大人であった。イブラヒムから最近、父親を見ないが、と言われてもウソをつく。当然お金がないので、父親の蔵書を売ってお金に換える生活が続く。

 そんな時、母親と称する女性がモモを訪ねてくる。モモは本当に母親のことを知らなかったのか、どうなのか、これまたウソをつく。モモは出ていった、と。母親に捨てられた子どもの心境はいかばかりか。

 その後すぐに父親が自殺したとの連絡が入る。遺体の確認はイブラヒムに依頼している。そしてモモは決心する。一人では生きていけないので、イブラヒムの養子にしてほしい、と。苦労の末、養子になることが出来、二人は車でイブラヒムの故地を目指すことに。

 あとから考えるとこれはイブラヒムがその死期を覚り、モモに見せておきたかったということ。その他、イブラヒムはいろいろなことをモモに教えたのであった。

 オープニングシーンには驚かされた。部屋の窓からモモがその前の道で客をひく娼婦をジッと見ているのだ。そしてついに貯金箱を壊し、「買う」ことに。と、いきなりこんな内容なので、もしかしたら物議を醸したかもしれない。しかし、それもモモが大人になっていくためのプロセスだったのだろう。イブラヒムは言っている。最初は玄人というか専門の女性に、その後で素人の女性と、と。

 舞台はパリでも下町でユダヤ人街ということらしい。花のパリとは大違いの、どちらかというと汚れた街並みである。ここに住む庶民の生々しい一面が描写されている。つまり子どもたちのいるすぐ前で、何人もの娼婦が立っているのだ。

 この映画で画期的だと思ったのは、イブラヒムがモモをギリシア正教会・カトリック教会・イスラム寺院などへ連れ回っていることだ。そしてイブラヒム自身は、「スーフィー教」だと言っている。そしてそこへも連れていき、彼ら特有のグルグル回っている(スーフィーダンス)のを見せている。

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