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【こんな映画でした】749.[チャンス]

2022年 8月11日 (木曜) [チャンス](1979年 BEING THERE アメリカ 130分)

 ハル・アシュビー監督作品。ピーター・セラーズ主演(撮影当時54歳、1980年に亡くなっている)、シャーリー・マクレーン(撮影当時43歳)が相手役。何とも奇妙奇天烈な映画だ。こういう映画だったのか、と。

 原題は「今ここにいること」とメイキングで訳していたが、単に「そこにいること」とか「そこで生きていること」・「今そこにあること」とかも含むか。邦題は主人公の名前とも言えない「名前」である(チャンスとは一般の用語でもあるので、大統領との面会の際、大統領が「チャンス」という単語を使うたびに彼チャンスが返事をしていた。観客は笑っていたことだろう)。

 つまり経緯の説明はないが、彼は拾われてきたのか、そこの主人の落胤なのか、ともかく大切にはされてこなかったようだ。メイドだったルイーズが、チャンスは読み書きができず、頭の中は空っぽだと言っている。ついでにルイーズのことでいうと、おそらく彼女はチャンスの身体のことも知っているのだろう。性的なことをさりげなく最後の別れ際にチャンスに言っている(結婚しなさい、ただし「小さい」から若い子よりも年をとった女性がいい、と)。

 オープニングシーンから主人公チャンスの奇行(?)が始まり、彼は一体何なのか、サッパリ分からないままにとうとうその家を放り出されてしまう。この先どう展開するのやらと心配になるくらい。

 そこでようやくシャーリー・マクレーンの登場で、奇体な話が動き出すことになる。その彼女の家がまた凄い。アメリカの本当の金持ちというのはこういうものかと知らされる。かつて[ある愛の詩]でもクルマでゲートを過ぎてから屋敷に着くまで延々と走っていたのを思い出したが。

 この先は思い違いによってか、彼は厚遇されることになる。どこまでチャンスが分かっているのか、飄々とした表情からはうかがい知れない。ピーター・セラーズ自身も笑いを堪えて演技していたのかもしれない。それはメイキングのNG集でも見て取れる。ベッドに横たわって黒人少年からの「伝言」を言おうとするシーンである。何がおかしかったのか、何テイクも繰り返している。ただその一部をラストシーンのあとのエンドロールの背景として使っている。

 そのラストシーンだが、これもメイキングに含まれていたわけだが、最初のものは言うなれば月並みであった。それがひょんな事から、採用されたラストシーンになったわけだ。なかなか印象的なラストシーンになっている。

 細かい事ではチャンスが、最初の方のシーンで車庫にあるクルマを羽ぼうきできれいにしているのだが、よくそのクルマを見ると左の前輪のタイヤがパンクしてるか空気が抜けているのが、一瞬間だが映し出されている。これは二度目で分かったことだ。つまりその主人は、すでにクルマに乗れなくなって久しいということを意味するのだろう。ともかく映画の美術というのは見えないところまでキチンとやっているということだろう。

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