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【こんな映画でした】177.[情婦]

2016年 1月21日 (木曜) [情婦](1957年 WITNESS FOR THE PROSECUTION 117分 アメリカ)

 監督はビリー・ワイルダー。男優はタイロン・パワー(名前だけはもちろん知っていたが、かなり濃い顔の俳優だった)、女優はマレーネ・ディートリッヒ(言うまでもない大女優なのだが、これまであまり観てきてなかった)。弁護士はチャールズ・ロートン(初めて観る)。なお原作はアガサ・クリスティであった。邦題が原題とかなりかけ離れていると思う。「情婦」は誰を指していたのだろう。ディートリッヒかそれとも最後に登場する若い女性なのか?

 それにしても緻密な計算された脚本だということだろう。一気に最後までぐいぐいと引っ張られて観てしまう。映画を観て二、三日してからのことだが、やはりおかしいと思えるシーンを思い出した。それはラストで無罪となった後、真相を知ったディートリッヒがパワーをナイフで刺殺するところだ。そのナイフは証拠として裁判の間、テーブルの上に置かれていたもの。裁判が終わったのに回収されずに、裁判関係者はすべて退場。そしてそのナイフで、というわけだ。やはりこれはおかしい。



2016年 2月 9日 (火曜) 『検察側の証人』(アガサ・クリスティ 早川書房 2004年)

 先月ビリー・ワイルダー監督の[情婦](1957年 WITNESS FOR THE PROSECUTION 117分 アメリカ)を観たことから気になって、原作であるクリスティの戯曲を読むことに。

 やはり映画と原作とは若干違うようだ。特にラストシーンなど、原作では空席の裁判長席に向かって「裁判長、わたくしは有罪でございます。」ということで終わっていた。とまれ、詳しいことはまさしくネタバレになるので、この手のミステリーではタブーということで。

 なおこの本の解説によると、原作はさらにもう一つあったようだ。つまり、まず第一に短編小説として書かれていたということ、その上でこの戯曲が書かれたということらしい。

 なお原文はどうなのか分からないが、どうしても気になった訳し方はボウルという男性の一人称。「俺」と訳しているのだが、どうだろう。あるいはフレンチ夫人のことをボウルが言う時、「オバチャン」と訳しているところ。こうなると原文に当たるしかないということになるわけだ。(あとでKindleの試し読みをダウンロードしてみると、戯曲ではなく、小説版であった。比較的分かりやすい英語のようである。お試しなので最初の部分だけであったが。そして主役はメイヒューのようであった。解説にあったとおり。)

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