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【こんな映画でした】636.[巴里の女性]

2022年12月 6日 (火曜) [巴里の女性](1923年 A WOMAN OF PARIS アメリカ 81分)

 チャールズ・チャップリン監督作品。チャップリン本人のカメオ出演はあるが、基本的には監督に徹している。それもかなりシリアスな内容の、様々な愛の形を描いている。主役マリーにエドナ・パーヴィアンス、金持ちの男ピエールにアドルフ・マンジュー、若い画家ジャンにカール・ミラー。

 一つの言い方をすれば、このジャンという男の優柔不断さが彼の母親も、そしてマリーも不幸せにしてしまう。愛情をとるか、経済的に豊かな生活を選ぶという今も問題となるテーマである。これが100年前の映画なのだから凄いという評価になるのだろう。今ならいくらでも発想され、作られている。私たちも見慣れている。

 ラストシーンはそのジャンの母親とマリーが和解し、二人で田舎、巴里から80キロだったか離れた所で、何人かの子どもたち(の里親か?)とともに暮らしている。近くまで子ども一人と手をつないでミルクか何かをもらいに行く道すがら、車で走ってきたピエールとすれ違う。お互いに気が付かずに。なかなかしゃれたラストシーンである。

 この映画を観る私は、今の感覚、現代の多くの映画を観てきた上での感覚で観ていた。しかし、実はそれはおかしいといえば、おかしいのだ。100年前の映画なのだから。そのようにあらためて思う。

 あとシーンでは、駅でマリーがパリへ列車に乗って行ってしまうところ。実際の映像には列車はまったく映ってない。光と影だけでの表現である。新鮮であった。それと女マッサージ師が、マリーの友人たちの会話を聞きながらのリアクションである。これも見事であった。

 ジャンの父親が亡くなるシーンは、床に落ちているパイプをアップで撮すことで表現している。それを観たジャンが、椅子に腰掛けている父親に視線を移すと、亡くなっていると気が付くのだ。まだいろいろとあるだろうが、再度観れば気が付くことができるだろう。

 チャップリンだから喜劇映画という先入観から、眼が曇ってしまっていたようだ。他の監督たち同様、彼もそれなりの思想や技術を持った監督であった。それで思い出したが、メイキングにジャンの母親が彼の死を知ってのリアクションというか演技だが、要するにオーバーアクションだったようだ。79テイク、彼女はそれを続けたようだが、ついにチャップリンの言うことを聞いて、80テイク目でオーケーとなったそうだ。チャップリンも過剰な演技を排していたようだ。

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