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【こんな映画でした】108.[つぐない]

2018年 5月13日 (日曜) [つぐない](2007年 ATONEMENT 123分 イギリス)

 [ハンナ]に続いて二作目を観ることになった監督のジョー・ライトの解説によると、この映画には2年半かけたとのこと。そうするとシアーシャ・ローナンはまだ11歳だったかもしれない。もうすでにこの時から魅力的である。

 何故に「贖罪」(つぐない)なのか?
 どうやら姉の恋人を無実の罪に陥れてしまったことのようなのだ。妹である彼女の証言によって。で、なぜそんな証言をしたのか。姉のことを思ってのことか。それとも別に理由があったのか、と考えさせられる。愛情に関することは、単純にはいかないようだ。

 イギリス映画なので、やはり階級社会の問題が出てくる。彼女たち姉妹は上流階級であるが、姉の恋人は「使用人」であった。だから彼に憧れとともに、見下す差別意識が無意識下にあったのは否定できない。

 ラストでは、もう老境に達し、作家となっていた妹(ここではヴァネッサ・レッドグレーヴが演じる)が、その遺作となる著書『贖罪』についてインタビューを受けている。インタビュアーは、映画監督でもあるアンソニー・ミンゲラが演じる。

 いくら「つぐない」の気持ちを持ち続けていようが、かつての「その時」に終わってしまったことは、やはり取りかえしがつかないということ。あらためて人生というのは、容赦なく残酷なものだと知らされる。なお、技法として、カットバックやフラッシュバックが多用されている。

 続いて監督による音声解説版で二回目を観た。いろいろと凝っているところなどが紹介されるが、それに気が付くのはなかなか至難のことだ。アップとワイドとか、手の表情を撮るのが好きであるとか。

 で、妹が虚偽の証言をした理由だが、監督は嫉妬からではなく、愛が冷めたからだと言っていた。なるほど、「一旦気持ちが冷めたが最後、人間の感情の針はゼロでなくマイナスに振れるものだ」(P.200)と『晴子情歌 下』(高村 薫)にあったとおりだろう。

 思春期の少女の未成熟さが生み出した悲劇と言えよう。もっとも、この映画というか、映画の中での小説はハッピーエンドにしてある。つまり姉の恋人はフランスの戦線から無事帰還し、姉と結ばれるということに。ラストシーンは海岸での幸せそうな二人と、一緒に行こうとしていたコテージの映像が映し出されている。

 なぜハッピーエンドなのか、との問いに。私たちが生きていく上で、このような小説や映画などは「慰藉」の役割を果たすと言うこと。そのためにも小説はハッピーエンドでなければならない。と、そのようにインタビューで最後に語らせている。なお今作の原作は、小説『贖罪』(イアン・マキューアン)である。

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