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【こんな映画でした】130.[ミス・シェパードをお手本に]

2016年12月27日 (火曜) [ミス・シェパードをお手本に](2015年 THE LADY IN THE VAN 104分 イギリス)

 原題と邦題との間の関連性は、見終わったあとも私には分からなかった。何を「お手本」にせよと言うのだろうか。原題を素直に訳した方が、より内容にふさわしいと私は思う。「車の中のレイディ」とか、「ヴァンライフのレイディ」・「車上生活の御婦人」。

 いずれにせよ主役のマギー・スミスが良い。ホームレス風の庶民のおばあさんを演じている。ボロ車のヴァンで寝泊まりするようになった経緯は、あとから紹介されていくことになる。さらに、そのような人生を送らざるを得なかった事情も。

 全編を流れる音楽は、三拍子のやや古風なのんびりしたもの。その中に彼女の人生のキーとなるピアノの曲が流れる。それはショパンのピアノコンチェルト第一番の第二楽章。
 そのピアノ・コンチェルトの演奏は、彼女が若いときのコンサートホールでのものが、セピア色で映画のオープニングで紹介されている。その時はまだ何のことか分からないまま。つまり伏線。

 その後、年老いた彼女が一日検査のために出掛けた場所で、ピアノを見つけ、そっと覚束ない指の運びで、ショパンのそのメロディーをなぞるように弾くのだ。このシーンは涙なくして観られないものであった。またその美しいメロディーラインに、あらためて感動させられるものであった。

 ジャンルとして「ドラマ/コメディ」とあるのは、あまり合点がいかない。彼女と近在の住民たちとのやりとりは「コメディ」と見ることもできるのかもしれない。しかしこの映画は実にシリアスなものだ。それは宗教の問題がからんでくるから。

 彼女はかつて若い頃、修道女として修道院にいた。しかしピアノを取るか神を取るかという選択を迫られ、ついに心が破綻して精神病院へ。退院後、不幸な交通事故に巻きこまれたこともあり、その人生は狂ってしまう。

 どこまでも神の許しを請う彼女の姿は凄絶であり、悲惨である。人を救うはずの宗教が、逆に彼女の桎梏となり、幸せになることを拒絶し、ひたすら人との接触を拒む排他的な老女にしてしまったのであった。本名も名乗ることなく。
 この映画は、ほとんど実話だそうだ。彼女がパリでアルフレッド・コルトー(1877-1962)の教え子であったということも。

2022年 5月27日 (金曜) [ミス・シェパードをお手本に](2015年 THE LADY IN THE VAN 104分 イギリス)

 ニコラス・ハイトナー監督作品。2016年12月27日 (火曜)に映画館で観たもの。二度目。読書なら再読が必要なように、映画でももう一度観ることが大切だと思い知らされた。こんな風に観、考えるべき映画だったのかもしれない、と。結局、劇作家ベネット(アレックス・ジェニングス)の家の庭に、1974年から1989年の15年にわたり住み着いていたとのことだ。

 あと非常に気になったのは、何か気に食わない人を見るとすぐに「あいつは(彼は)共産主義者か」と言うのだ。四、五回出てきていた。すごく違和感を感じていたが、ようやく思い当たった。アングロサクソンというか英米人は、強烈に共産主義が嫌いなのだ。憎しみを感じているのかもしれない。そうでなければコメディとされるこのような映画の中に、何回も何回もそんなセリフを出さないだろう。根が深いようだ。

 最後に遺品整理の際、彼女の演奏会でのポスターが出てくる。それこそがオープニングシーンとラストシーンで出てくるオーケストラとのピアノコンチェルトの演奏であった。最初はセピア色で、最後はカラーで。

 なお本作はまず舞台で、そしてその後同じキャストで映画化されたとのこと。

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