【こんな映画でした】18.[まぼろしの市街戦]
2022年 1月20日 (木曜) [まぼろしの市街戦](1967年 LE ROI DE COEUR KING OF HEARTS フランス/イギリス 102分)
フィリップ・ド・ブロカ監督作品。1980年10月8日に映画館で観て以来、今回ブルーレイディスクが発売されているのに気が付き、入手して二回目。この映画もまたほとんど忘れていて、初めて観るのと変わりはなかった。
それにしても大した映画であった。最初に観た時も「佳作だ」とメモしてあったが、今回も同様に感じた。
オープニングシーンでテロップがあり、そこには「1918年10月、ドイツ劣勢により解放間近の北フランスの町で」、とある。メイキングによると実際は第二次世界大戦であったエピソードのようなのだが、詳しくは分からない。ともかく時代を「第一次世界大戦」としたことで、見やすく(受け入れられやすく)したとのこと。
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さて映画は。町が撤退していくドイツ軍によって全面的に爆破されるということで、町の人々はみんな慌てて何もかもほったらかして逃げ出すことに。ところが町にある精神病院の患者として収容されている人たちは、ほっておかれる。足手まといになるからだろう。いや、そもそも彼ら町の人々には、彼らの存在がその視界に入ってなかったのだろう。爆破とともに彼らは死ぬことになるのに。
そんな中でスコットランド兵チャールズは、ドイツ兵に追われて逃げ込んだ先がその精神病院。そこで患者の一人のように扮装して、トランプに興じる様を演じる。その時に、原題の「ハートの王様」と「自称」する。
まもなくドイツ兵も町の人もいなくなり、町は彼ら精神病院の患者たちの好き放題できる場所となる。そこで彼らは開け放たれた病院から外に出ていく。つまり一般人が暮らしていた町の中に入っていく。もはや無人なのでそれぞれが好きなところに入り込み、その場所で服を着替えたり、踊ったり歌ったりと好きなことをやり出す。
そんな中でチャールズは「ハートの王様」だということで、みんなが教会で「戴冠式」を挙行することになる。この時法王の扮装をした男性が挨拶をする。以下のように(52分頃)。
「諸君、人生は涙の谷です。人は泣き叫びながら生まれ、ため息とともに旅立ちます。神は人の涙をお望みなのでしょうか。実は私たちの世界、即ち神の国は喜びにあふれています。砂漠の民アラブ人にはオアシスと天国があります」。(ここでふと正気に戻ったように)「天国は閉じ込められた囚人の帝国です」、と断言するのだった。
このように映画の中では、いずれも狂人のたわ言のように見せかけて、戦争批判や、キリスト教についてもチクリとやっている。このあたりがフランスでは不評だったのかもしれない。メイキングにあったが、この映画は本国フランスでは受けず、アメリカでヒットしたとのこと。
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これで明らかなように、この映画の主役は、彼ら数十人に及ぶ精神病院の患者である。チャールズも狂言回しであり、彼ら患者といわれる人たちがここでの主役であることに、私たち観客は気が付くことになる。
この映画についてはいろいろな視点がありうる。まず何よりも精神病患者と言われる人々と、一般の正常な(と言われる)人々との違いは一体どこにあるのか、ということ。彼ら精神病患者というのは、現実のことを何も分かってない、と一般人は思っている。だが、この映画を見ているとそれはどうも事実とは違うような気がしてくるのだ。不思議な逆転である。私たちの常識というものが覆されることになる。
その証拠というべきか、町での事件がすべて終わった時、彼らは誰に言われるともなく自らみんなして元の精神病院に戻っていくのである。ということはつまり、すべて分かっていたということではないか。彼らは本当はまったく「おかしな人たち」ではない。言い方に問題はあるが、彼らは人間として決して「狂ってはいない」、ということではないか。精神病患者である振りを偽装していただけではないのか。もちろんそうでない人もいたのかもしれないが。この点は見終わっても分からないところだ。
たとえば、ドイツ兵とスコットランド兵が撃ち合って、全員死亡するシーンがあるのだが、それを彼らは平然と眺めていた。まるで劇を観ているように。つまり本当の「死」ではなく、演技のように見ている。だからそこにいた兵がみな倒れてしまったのを見て、何と興醒めな、といった表情で彼らはそこを立ち去る。そしてもともと暮らしている精神病院に戻っていくのだった。病院のゲート前では、それまで羽織っていたものを脱ぎ捨て、手に持っていたものをそこに置いて、何食わぬ顔で病院の中へ帰っていくのだった。
これまで通りの生活に戻った彼らは、患者としての服装で、これまでのようにお喋りをしたり、トランプに興じたりしている。そしてラストシーンは「公爵」のアップでのモノローグ。「最も美しいのは、窓から出かける旅です」、でフェイドアウト。
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主役のアラン・ベイツは撮影当時33歳。[その男ゾルバ](1964)のラストシーンでアンソニー・クインと踊っていた男性だった。思い出した。相手役のコクリコ(あだ名だろう)はジュヌヴィエーヴ・ビジョルド。撮影当時24歳、[1000日のアン](1969)で観ているようだ。
なお2017年製作のメイキングの一つは、このコクリコ役のジュヌヴィエーヴ・ビジョルドがインタビューに応じたもの。1942年生まれであるから、75歳ということになる。存命のようだ。
メイキングのもう一本は撮影監督のピエール・ロム。最近観た[ル・ディヴォース/パリに恋して](2003)は彼の撮影であった。監督とは1950年にともにパリの映画学校で学んだとのこと。今回のデジタル化でネガフィルムからチェックしたとのこと。「アメリカの夜」という言葉も出て来ていた。このトリュフォーの映画を観ておいて良かった。さもなければ意味が通じないところだった。
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