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年間第7主日(A)年 説教

マタイ5章38~48節

◆ 説教の本文

 イエスさまは、「悪人に手向かってはならない」とか、「右の頬を打たれたなら 左の頬も出せ」とか、実行が非常に難しいことを教えておられます。
難しいだけではなく、そんなことをすると、かえって悪を蔓延らせることになるのではないかと、私たちは心配します。
 このような教えには、「たまには」という言葉を付け加えるのがいいのではないでしょうか。「 悪人に手向かってはならない」。これを、いつでも、どんな場合でも、そうしなければならない掟だと考えれば、福音ではありえないでしょう。不可能を自分に強制することが「良い知らせ」(福音)であるはずがありません。
 しかし、「悪人」という言葉を、親の敵とか、凶悪な殺人者とか、血に飢えた独裁者とばかり考える必要はありません。職場で何かというと突っかかってくる人も、私にとっては、ここで言う悪人です。
 そういう人に対して、あなたは対抗しなければならないと思っているでしょう。反論して、しっかり自分の立場を主張し、相手の嫌味に対しては皮肉で立ち向かうべきだと思うでしょう。そうしてもいいのです。 何時でも、無抵抗のドアマット、踏みつけに甘んじることがいいわけではありません。

 しかし、たまには、相手に譲っても良いのではないですか。今日は私は気分が良いから、反論しないでおく、嫌みを聞き流す。そんな時があってもいいのではないですか。いつも反論しなければならないと自分で思いこんでいると生き方が窮屈になります。「今日は、相手に勝たせてあげよう」。そんな日もあっていいのではないですか。
ある学校の先生が言っていました。態度の悪い生徒を叱らないこともある。
この子はいつも負けているのだから、たまには勝たせてあげよう。懐の深い 言葉だと思います。こういう考え方は福音的です。

 踏みつけられたままでなるものか!そういうプライドからする反撃は、若い人の場合は悪くはないかもしれません。むしろ、若い時分にはそういう負けん気も必要かも知れない。
  しかし、反論する時も、私は反論しないことを選ぶこともできるのだと分かっていれば、落ち着いて話すことができます。相手の言葉に反応(reaction)するのではなく、応答(response)することができます。言葉づかいを乱さず、人間としての敬意を失わず、節度を持って反論することができます。それは当の相手にもわかるでしょう。

☆ 説教者の独り言

 「たまには」という言葉を付け加えることは、福音の理想を引き下げるものと思われるかもしれません。理想をはっきりと掲げることは大事です。
しかし、弱い人間が、その理想を如何に自分の生き方に組み入れていくかを提案することは説教の役割です。
「たまにはやってみるか」。それは福音的生き方の始まりです。

〇 英語版のサマリー
I propose that we should add to these difficult teachings of Jesus, four words, namely, once in a while.
For example, offer no resistance to one who is evil, "once in a while".
It is not the end of Gospel living, but a good start.