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年間第22主日(C)年 説教

ルカ14章 1, 7~14節 『客と招待する者への教訓』

◆ 説教本文

「宴会を催すときには、むしろ貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人 、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたたちは幸いだ。」

「ペイ・フォワード」という映画があります。
ペイ・フォワードとは、人にしてもらった恩を、その人に返すのではなく、別の人に贈るという意味で、実際にそれを実践し、人にも勧めた少年の話です。実話だそうです。
人から 親切にしてもらった時、何か贈り物をもらった時、私たちはその人に心を込めた感謝をしなければならないと考えます。それはもちろんとても良いことで、間違ったところは何もありません。
しかし、感謝することにかまけて、 ペイフォワード をしないことは多いのです。心を込めた感謝をすれば、その人も気持ちがいいので、また何かをくれます。二人の間で好意が行ったり来たりする中で、もちろん二人の関係はより懇切なものになります。しかし、 広がらない!

  ペイ・フォワードを心がければ、好意の環は次第に広がっていきます。これはイエスの御心に適うことです。
  もちろん、感謝することとペイ・フォワード、両方をしっかりやれば一番いいには違いありません。理屈ではできるはずです。しかし、人間のやることは理屈通りにはいかないもので、感謝をすることに心を向ければ、ペイフォワードはどこかに行ってしまいます。たまには感謝をすることには手を抜いて、ペイフォワードに心を向けると良いと思います。神の恵みの環が広がります。
 私たちが贈り物をくれた人に感謝することに熱心なのは、実際のところ 、 感謝することによってさらに見返りがあるという期待もあると思います 。 期待と言うより 、「あいつは感謝の心がないやつだ」と思われたら、何かと まずいことになるかもしれないという漠然とした恐れがあることも少なくないでしょう 。
 「自分があの人にしてあげたことを、あの人は他の人に送っているはずだ。」相手がきっとそう考えてくれるという信頼がキリスト者同士にあれば、もっとペイフォワードの環は広がるはずです。
 フランスに住んでいた森有正という哲学者が、日本の文化は同じところを深く掘る文化だ、欧米の文化は外へ外へと出て行く文化だという意味の事を言いました。外へ出ていく文化の好例として挙げられたのは、旧約聖書に描かれたアブラハムの出発です。

「あなたは生まれた子と親族、父の家を離れ私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民とし、祝福し、あなたの名を大いなるものとする 。」(創世記12章 1~2節)

 「欧米文化が外へ外へと出ていく文化」かは、このところ怪しくなっています 。 しかし、日本文化については、森有正の言う通りだと思います。
 演歌というジャンルは、今では酒場で働く女性の恋愛を歌うものが中心になっています。 手を替え、品を替え、同じようなメロディ、同じような歌詞のものが量産されています。しかし私のような通になると、同じような歌の中に、キラリと光る小さな新しさを見つけることができます。そのちょっとした新しいフレーズ、サビのメロディを見つけるのが楽しみになるのです。全部新しいと、ちょっとしんどい。
 この同じもののバリエーションを量産して、その中に小さな違い、新しさを見つけるというのは、日本文化の強い特徴ではないかと思います。同じものの繰り返しは安心できますが、繰り返しだけだと飽きてしまいます。そこで、小さな新しさを入れるのです。
人間関係も同じです。同じ人と好意のやり取りをしていると安心です。しかしそれだけでは、やはり単調になってしまうので小さな変化をつけます。「やりますね』と微笑み合うことができます。安心できる小さな世界の中で、ほっこりできるのです。
 一方、新しい人に好意を示すことは冒険です。応答が予想できないからです。しかし、世界が少しずつ広がっていきます。イエス様は私たちが、小さな親密な世界で安らぐだけでなく、少しずつ広い世界に出て行くように望まれています。その先には「神の国」があるのです。
 いつも、しなくてもいいのです。たまには、ペイ・フォワードをしましょう 。

☆ この説教の背景
 今日の福音箇所には二つのたとえ話が含まれています。この二つは論理的には強い関係がありません。ただ「人をもてなす」ということでつながっているのです。福音書にいくつかの教えやエピソードが並べられている場合、こういうことは多いのです。ですから、説教では福音箇所の全てに触れる必要はないのです。そうする司祭もいますが、散漫になりがちです。 一つのたとえ話、教えを選んで、掘り下げた方がいいと思います。
 今日の説教と二つ目の例え話にも、強い論理的関係はありません。ただ 「お返しをしない 」というポイントでつながっているのです。この福音箇所を読んだ時 、ペイ・ フォワードの話をしようと思いました。その直感に従った方が、福音を論理的に解析するよりも、良い説教になることは多いと思います。