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僕たちはアルバイト

そんな歌詞を高らかに歌い上げる曲があった。今日はアルバイトの話をしよう。
そう、私は38歳で無職になっていた。転地療養中の妻は、職場の事務仕事をリモートワークでこなしていたが、そこまでまとまった収入になるわけではない。
失業保険が入るにしてもハローワークに通いだし数ヶ月後のことである。貯金を切り崩して生活せざるをえないことは覚悟していたこととはいえ、目に見えて数字が減っていくことは私にとっても妻にとっても精神衛生上いいことではなかった。

まず私が驚いたのは京都に比べた場合の仕事の少なさだ。「田舎には仕事がない」というのをよく耳にする。私は作業療法士といって医療・福祉の業界の人でリハビリテーションの仕事をしている。転地療養に際して作業療法の仕事だったらどこでもあるだろうとたかをくくっていたが、決してそうでもなかった。

作業療法士の仕事

作業療法士の仕事はおおまかに3工程に分かれる。
1.対象者(つまり病院であれば患者さん)の評価
短期目標と長期目標を立てる、大体3ヶ月から1年くらいのスパン
2.リハビリテーション実施
計画に沿ってリハビリテーション
3.再評価
次の期間、どういったリハビリテーションをするかの評価

まぁ領域によって実際にやっている場所が病院であったり、その人の自宅であったり通っている場所であったりする。
いずれにしてもリハビリテーションの流れは違うにせよ、この流れは大抵「作業療法」をやっている人たちなら同じだと思う。

アルバイトがない

作業療法の仕事を見ればわかる通り、これはつまり「長期で働く人」を前提にしている。まぁ確かに私としても、もし自分が病気や何らかの障害をもったときに、すぐにいなくなる人よりは長く支えてくれる人の方がいい気もする。また職業倫理上、短期で退職する可能性を隠して新たに仕事に就くことには猛烈に躊躇いがあったのも事実だ。
また京都であれば潤沢にあるリハビリ関係の「パートタイム」の求人も赤穂ではほとんどなく、あっても「作業療法士」に対する求人ではないため、マクドナルドでバイトしてるのと変わらない時給だった。
どうせだったらマクドナルドで働いてみようかと思ったが、やはりそれもなんとなく気が進まない。そもそも高校生のころからアルバイトが嫌で嫌でしょうがなかった。高校生の頃、近所の回転寿司屋でアルバイトしていたとき、出勤直前の私を見かけた妻は「見たことないくらい暗い顔をしている」と言っていたこと思い出す。

バイトに落ちる

それでも高齢者の介護予防をしているリハビリジムみたいなところの作業療法士のパート求人を見つけたので見学にいった。
そこでもやはり「短期の採用は厳しい」と断られた。
そのあとの赤穂から少し離れた龍野の訪問看護ステーションにも面接に行って断られた。
38歳でバイトを落ちるのは思いのほか辛い。私は就職活動をしていないので経験がないが、就職活動を22歳でやったみんなは本当に辛かっただろうなと想像する。一つや二つに断られて根を上げている私に比べてどんなにタフなんだ。100社くらいから断られたら本当に辛いだろうなぁ。
そんなことを思う毎日だったが赤穂の海辺の散歩で出会う景色やその空気は、私たちの傷を癒すには十分だった。

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