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それでも春はやって来る

明けましておめでとうございます。

あっという間に本日、2024年元旦。
この夢や希望を語るべき晴れやかな日に申し訳けないが、これをまず語らねば新しい一歩を踏み出せないので、記しておきたいと思う。

実は約2ヶ月間、noteの投稿ができない環境に置かれていた。
父が昨年11月に急病で入院し、見舞いと在宅看護と高齢の母のサポートで、先の見えないジェットコースターに乗っているようだった。
不安と寝不足と疲れのまま、仕事も十分できず、いつしか季節は秋から冬と過ぎて行った。
紅葉が、一枚一枚とハラハラ散って裸の幹が顕になった頃、父は旅立った。
亡くなる数時間前に父が私の手をギュー握った時、思いの外力強かったという感触だけが、今は残っている。

意識がまだしっかりしているうちに父の『病院から家に帰りたい』という希望を、沢山の人々のサポートを借りながらなんとか叶えてあげられたので、最期について悔いは無し。
今頃は、空の上から青い地球を見ているに違いない。

葬儀も終わり、この1週間で寝不足や疲れが徐々に解消。
今は不安がないということがどれだけ幸せなのかをしみじみ感じている。

時折ふと思うのは、『自分は毎日何の料理をしていたんだろう』とか、『今まで何を楽しみに暮らしていたのだろう?』など。

私は今、ゼロ地点にいる。

しかし、それでも春はやって来る。
ゆっくりとまた始めればいいのだ。


一昨日、気分転換に西伊豆の別荘の庭手入れと下田の友人宅を訪ねた。
野外で珈琲を淹れて、いつも通りのたわい無い会話をし、久しぶりに笑って過ごした。

その時傍らに咲いていた友人の庭の日本水仙。
小さい蜜柑は、『橘』。
花の師匠から暮れに届いた梅の木球。
2024年元旦の朝の光。

水仙、立花、梅の木球



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