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父、上顎洞がんになる〜手術の後

*手術は20年以上前のことです。今はもっと医学が進んで治療方法も変わっていると思います。

摘出、形成、どちらの手術も長時間かかりました。形成手術の後なんかは、そこら中包帯で巻かれていて、父の人生の中で一番ミイラに違い状態だったと思います。

手術後も過酷でした。繋げた血管や脂肪に血が通わないと壊死してしまうので、血流を妨げないよう顔の動きは制限され、ベッドの角度も一定に保たれていました。少しずつベッドの角度が変えられ、顔の自由度も増え、ベッドから離れられるようになるまで数週間を要しました。

ある日、夫が気まぐれで有給を取って、1人父を見舞いに行きました。その夫より電話がありました。歯磨きをしていた父の耳から血が吹き出して、大変なことになっている、と。

夫が手術の同意書に署名できたことで、すぐに対応がなされました。後で説明を聞いたのですが、移植して繋いだ血管が裂けてしまったので繋ぎ直したとのことでした。動脈硬化が進んでいるので、健康な血管に比べて裂けやすいらしいです。これも喫煙の影響だと思います。

父は再びベッド上に固定されました。前回に比べ、より慎重に全てのことはなされました。手術後、看護師さんたちより「とても我慢強くて驚く」と褒められた父ですが、この時はちがいました。とても機嫌が悪く、看護師さんたちに怒鳴ることもあったようです。それでも父の辛さは十分に理解されていたので、皆さんには丁重に扱って頂いていました。

やっとのことで、父はベッドから離れることができました。この時のことは、だいぶたってからも「天井の穴の数を数えるだけしかできないのは、本当に辛かった」と言っていました。

その後も、耳に膿が溜まってそれを抜くチューブを入れるとか、そのチューブを抜くとか、口の中を縫い直すとか、小さな手術がいくつも行われました。

そのたびに同意書にサインをし、手術に立ち会うため病院に行ったのですが、一度うっかり行くのを忘れてしまったことがあります。あの大手術に比べると、虫歯の治療くらいにしか感じられなくなっていたのかもしれません。

そんな訳で、自然と父の入院期間は長くなりました。けれど、まだ60代半ば。患部は主に首より上。移植の時の傷が治れば、首から下については早期に復調しました。

ある時、見舞いに行くと病室に父の姿はなく、探したところ数人の女性患者と語り合う父を発見。「手術前はイケメンだったでしょうね〜」なんて言い出す方もいて、まさかのモテ期到来!父によると「男はしょぼくれたのが多いけど、女の人は明るくていいよ」。調子に乗っておりました。

そして退院後は、担当看護師さんを含めた数人で、時々食事会なんかを開催していました。こんだけ大きな手術をしたのに…転んでもただで起きないタイプです。

Googleフォトにあった手術後の1番古い画像です。

手術した場所は、必ず大きめのガーゼで覆っていました。眼帯では覆い切れなかったようです。そして、外出時はこんな風にサングラスをよくしてました。

もちろん、入院時はサングラスなんてしてないので、外見ではなくコミニュケーションでモテ期を呼び寄せてたんでしょうか…家族にはそれほど愛想よくなかったのにね。

*思いがけないモテ期が来たとしても、ベッド上で顔を固定され、全く動かせないとか辛いから、上顎洞がんを発症しないためにも禁煙したほうが絶対いいですよ。

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