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三十五年目のラブレター 第14話

 内藤の居場所はあっさりと判明した。内藤の経営する小料理屋を、阿久津が知っていたのである。
 彼女の店は夕方五時から営業するため四時にはもう仕込みを始めるらしい。その時間帯を狙えば必ず話が聞ける。準備の時間に押し掛けるのは邪魔だろうが、営業中では話しにくいこともあるだろう。
 島崎が四時過ぎを狙って行ってみると、入り口のドアを全開にして玄関先を箒で掃いている年配の女性がいた。彼女が内藤だろうか。
「すみません、失礼ですが内藤きよみさんですか?」
 島崎が声を掛けると、その女性は掃除の手を止めて顔を上げた。
 痩せこけた頬に落ちくぼんだ瞼、血管の浮いた細い腕。人間は歳を重ねるにしたがって際限なく太って行くタイプと、どんどんミイラのように痩せて行くタイプがいるが、阿久津が前者なら彼女は後者だろう。即身仏に見上げられたような心持ちになる。
「どちら様?」
 低めのハスキーボイスが一瞬性別をわからなくさせる。だが、ニューハーフというわけではなさそうだ。
「警察の者ですが、少しお話を伺いたいんです。お時間は取らせません、お店の準備をしながらで結構ですから」
 彼女は島崎に店内に入るように促し、ドアに『準備中』の札を下げてカウンターの中に入った。
「内藤きよみはあたしだけど、何の用?」
 めんどくさそうにそう言って、頼んでもいないのにカウンターにお通しと水を出す。
「いや、私は飲みに来たんじゃないので」と慌てる島崎に「勤務中なんでしょ。ただの水よ。お通しも味見。お金なんか取らないから心配しなくていいわよ」と、懐からタバコを出してきて一本咥えた。
 なるほどめんどくさそうに見えるが、彼女自身が気怠い雰囲気を纏っているのだろう。さりげなく仕事の手は休めていない。
「あ、じゃあ、いただきます」
「あら、素直な方が可愛いじゃない」
 ミイラのような体だが、妙な貫禄がある。小料理屋の女将というよりはクラブのママさんという感じだ。とは言え、どちらも行ったことの無い島崎にとって、それはどちらもイメージでしかないのだが。
 しかもお通しが旨い。単なる切り干し大根の煮物だが、こんなに旨い切り干し大根の煮物は生まれてこのかた口にしたことが無い。
「で?」
 内藤が促すように聞いてくる。島崎は切り干し大根に夢中になって、仕事を忘れそうになっていることに気付いた。
「あ、すみません。早速ですが、内藤さんは東都大学の卒業生ですね?」
「そうじゃなくて。どうなのよ」
「は?」
「味見って言ったでしょ。どうなの、美味しいの、まずいの?」
 ああ、そういうことか、何をやってるんだ俺は――島崎は照れを苦笑いで隠した。
「すみません、美味しくて一瞬仕事忘れてました。聞かれて慌てて仕事モードに戻ったもんで」
「美味しかったのね?」
「はい。お世辞じゃなくて、今まで生きて来て一番旨い切り干し大根です。お代わりしたいくらい」
「そっか。じゃあ失敗ね」
「えっ?」
 驚く島崎を尻目に、彼女は鍋に少しの砂糖と醤油を足す。
「水で食べててちょうどいいなら、お酒のあてには味が薄すぎるのよ。物事は絶対的なものじゃなくて相対的なもので成り立ってることが多いからね」
 不思議な事を言う人だ。だが、島崎は彼女のものの言い方が嫌いではなかった。
「あたしは経済学部卒。大手アパレルメーカーに就職したけど、あたしが入社して四年目に潰れたの。それで地元のクラブでホステスやってたんだけどね、独立してスナック経営したのよ。でもほら、若い女の子雇わなきゃならないでしょ。教育もしなきゃならないし面倒でね。それで小料理屋に乗り換えたのよ。あなたが最初にあたしを見て『小料理屋の女将っていうよりクラブのママ』って感じたのはそのせいよ」
 一気に喋ると、彼女はゆっくりと煙草をふかした。木の枝のような指先に細いタバコがよく似合う。
 島崎は自分の感じたことがそのまま読まれていたことに一抹の気まずさを覚えたが、内藤が全くそれを気にかけているようには見えなかったのが救いでもあった。
「あの……登山サークルに所属されてましたよね」
「登山サークル? ああ、あれって登山サークルだったかしらねぇ。キャンプ同好会みたいなものだと思ってたけど」
 話しながらもおしぼりを保温機に入れて行く。体が覚えているのだろう、喋っていても動きに淀みがない。
「メンバー覚えていらっしゃいますか?」
「えーと。阿久津さんと西川さんと木立さん。木立さんは女の子で同学年、あと二人は男で一学年先輩だった。この三人といつもバーベキューやってたわ」
「他に三人いましたよね?」
「あー……なんかいたね。ええと――」
 鍋をかき混ぜながら「誰だっけ」などと言っているところを見ると、本当にこのサークルは真っ二つだったのだろう。
「あ、そうそう、あの真面目が服着て歩いてるような人、岸谷さんだったかな」
「桐谷さんですね」
「あ、そうそう。桐谷さんだ。それと存在感の薄かった彼は誰だっけな」
「中橋洋一さんですね」
「そうそう、それ。中橋君。芸術オタクみたいな人。それともう一人、桐谷さんと付き合ってたのが宮脇さん」
「ちょっと待ってください。桐谷さんと宮脇さんは付き合っていたんですか?」
「そう。気の毒にねぇ。結婚も考えてたみたいだったけど、一人で山歩きに行って沢に滑落したって聞いたわ」
 思いがけない情報が飛び込んできた。桐谷武彦は亡くなった宮脇と付き合っていた、しかも結婚まで視野に入れて……。
「木立さんはどちらにお住まいなんですか」
「彼女は結婚して市川の実家の近くに住んでたけど、数年前に病気でご主人を亡くして、彼女も後を追うように数か月後に亡くなったわ。あたし、お葬式にも行ってきたから」
「木立さんのご実家はご存知ですか」
「知ってるけど、ご両親はとっくに亡くなってるわよ」
「お子さんは?」
 内藤はタバコの煙をスーッと細く吐くと、灰皿に灰を落とした。
「子供、いなかったのよ。あんまり大きい声では言えないんだけど……旦那さんが『種無し』だったらしくてね。里親の話もあったみたいなんだけど、結局最後まで二人だったわね」
 ということは、木立さんに関してはあの怪文書が届くことはないということだ。
 そして女性三人のうち二人はもう他界しているのか。とすれば、今後あれが届くとすればこの内藤きよみと桐谷武彦だけだ。
「つかぬことを伺いますが、最近誰かからおかしな手紙が届いたりはしていませんか?」
「不動産がどうのこうのって、明らかに詐欺っぽいのはよく来るわよ。みんな捨てちゃってるけど」
「そういうのではなくて、明らかな怪文書です。そういった不審な郵便物は来ていませんか?」
 彼女はくすくすと笑い始めた。ガイコツの上でドクロが笑っているような乾燥した笑いだ。
「それはつまりあれだ、登山サークルのメンバーのところに怪文書が送りつけられているって事ね」
 やれやれ、頭のいい人はこれだから嫌だ。だがこれくらいの回転でないと、ホステスなど務まらないのであろう。
 島崎が口ごもっていると、内藤の方がそれを察してくれた。
「わかったわ、怪文書とやらが来たら連絡すればいいんでしょ。あなた名刺ある?」
 内藤は枯れ枝のような手を島崎に差し出した。

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