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ウグイス男子・運転手の場合1

 おお、来たかウグイス君。
 小波美奈子こなみみなこ議員が伝説の『インフル全滅騒動』で完全敗北を喫し、すっぱりと政界から足を洗っちまったから、コイツを探すのは本当に苦労したぜ。なにしろ当時小波事務所にいたオグちゃんすら知らねぇってんだ、ま、みんなインフルでぶっ倒れてた時だから仕方ねぇか。
 さて、出陣式も始まる事だし、ウグイス君に車の事を教えてやらにゃならん。
 私物を車に持ち込んでいいかと聞かれたが、随分重そうなリュックだ。こりゃどう見ても中身は本だな。帰りに立ち寄るところがあると言ってたが、一体どこに寄り道して帰るんだか。
「備品はここに揃ってる。足りないものがあったら言ってくれや」
 オレが言うが早いか、早速ウグイス君が「あの……」と言い出した。
「押しピン、ありますか?」
「ん? 押しピン?」
「ワッポンでもいいです。剥がれかけのポスターを見つけたら、その場で直せるので」
 ほう、そう来るか。
「なるほどな。後でオグちゃんに言っとくよ」
「ありがとうございます。あと、白手袋と予備の腕章があった方がいいんじゃないでしょうか。今日は初日ですし。丹下さんも同乗されるんですよね」
「ああ、そうだな」
「ティッシュも、できれば箱で。小熊さんにお願いすればいいんですね。あと、飲み物はどこか近くで買えるところはありますか?」
「事務所の冷蔵庫に入ってるペットボトルのお茶は経費で落ちるから、何本でも持ち出していいぞ。クーラーボックスは足元にある」
「ありがとうございます。あと、ごみ袋を助手席背面にセットさせていただきます」
 手慣れているな。たった一日、選挙カーで使いっ走りをしたとは思えない。いきなりで苦労したんだろう。こいつは期待できそうだ。
 俺はオグちゃんに白手袋や押しピンを持って来させ、お茶を補充した。その間もウグイス君はマイクにカバーをかけるなど、入念にマイクの調整をしている。
 さて、出陣までしばらく時間がありそうだ。俺はタバコに火を点けると、ウグイス君の働きぶりを眺めることにした。
 だが、彼も準備が終わってしまったようだ。何をするのかと思えば、突然、膝の屈伸運動を始めた。何をする気だ?
 ポカンと見ているオレを気にするでもなく、いきなりピョンピョンと飛び跳ね、ジャンプに合わせて「あ、え、い、う、え、お、あ、お」と発声練習を始めた。これ、跳ねる意味があるのか?
 『あ』段が終わると『か』段だ。「か、け、き、く、け、こ、か、こ」「さ、せ、し、す、せ、そ、さ、そ」「た、て、ち、つ、て、と、た、と」この調子で『が』段から『ぱ』段まで終わり、最後は「んーーー」と息の続く限り伸ばしている。
 何かの新興宗教かと勘違いしそうだが、どちらかというと演劇部みたいなノリだ。学校の演劇部か、どこかの劇団にでも入っているのか。
「拙者親方と申すはお立会のうちに御存じのお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて青物町を登りへおいでなさるれば、欄干橋虎屋藤衛門、只今は剃髪致して円斉と名のりまする」
 おっと、外郎売ういろううりかい。こいつはますます只者じゃねえな。ここまで一息で言い切りやがった。
 そこへオグちゃんが事務所から出て来た。
「野瀬さん、そろそろ出陣式が終わります。スタンバイお願いします」
「おうよ、待ちくたびれて苔が生えらぁ。行くぞ、ウグイス君」
「はい」
 オレは携帯用灰皿にタバコを押し付けると、運転席に乗り込んだ。ウグイス君がオレの後ろにスタンバって、何かモゾモゾと言っている。
「丹下源太、無所属、新人、三十四歳、妻、小学生の娘、幼稚園の息子、六十五歳の母、小豆山小学校卒業、黒豆沢中学校卒業、大豆川市議会、『お年寄りと子供に優しい街づくり』、たんげ、げんた――」
 事務所のドアが開く。事務所の人間が先に外へ出てくる。事務所の前に集まった支持者たちの前に、丹下ちゃんが姿を現す。拍手に包まれて、笑顔で頭を下げる丹下ちゃん。
 コイツ、オレが初めて会った時はまだ高校生のガキだった。いつの間にやら大学生になって、社会人になって、結婚して、子供を連れて歩いてやがった。
 高校生であの世に行っちまったオレの息子にどことなく似てた。今一つパッとしねぇ見た目に、もさっとした雰囲気。だけどいつも笑ってやがる。悩みを悩みにしねえ、呆れたプラス思考。
 コイツは俺が一人前にしてやる。
「ウグイス君、始めていいぞ」
「承知しました」
 彼がマイクのスイッチをオンにした。
「本日はお忙しい中、丹下源太出陣式にこんなにも多くの皆様に足をお運びいただきまして誠にありがとうございます。今回が丹下源太にとりましては初陣ではございますが、皆様方のご期待に添えますよう、精一杯頑張ります。新人ではございますが、新人だからこその新しい感覚を以て『お年寄りと子供に優しい街づくり』を全力で推し進めて参る所存でございます。何分、初めての選挙でございます、大変お世話になりますが、このフレッシュな力を皆様のお力でお育てくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。それでは皆様の心のこもったご声援を胸に、只今より、丹下源太、元気いっぱい遊説活動に出発いたします!」

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