見出し画像

ONE 第四十三話 託されたもの

 基地中に鳴り響くEMGコール。それを耳にして弾かれたように顔を上げたシドが最新情報にアクセスした。

 『駐留艦隊偵察機。オッジ哨戒空域にて敵と接触。戦闘状態となり死者6。敵機2撃墜』

「ロスト3。どっちが先に仕掛けたかは不明か」
 乾いた声で呟いたシドは電話に手を伸ばし、上官に行動指示を仰いだ。指令は、そのまま待機せよ。
 電話を切ったシドが首を傾げる。
「この数で緊急発進とは妙だな」
 シドは、立ったまま状況の裏を探り始めた。

 今度の休戦も二年と続いていない。特区の最高責任者曰く、この国のゲーム、年中行事なのだ。
 母星メーニェの衛星『オッジ』。その軌道からシャルー側に哨戒ラインがある。小競り合いは常にあり、今回程度の損失は珍しいことではない。
 政府は目立つ戦果を欲しがっている。来春に大きな選挙があるのだ。特区はクローン兵士を試したい。というよりも元手の回収が終わったので失敗作を処分したい。維持するだけでも膨大な予算を必要とするからだ。

 ゲームには、あまり多くの犠牲を出してはいけないのだ。全く出さないわけにもいかないのだが。それをクローンで補うという考えは悪くはなかった。それなりに利益も出たのだろう。とはいえ、休戦協定の破棄は年明けに予定されていたのだ。急を要する他の理由が発生したらしい。

 顎に手をやり思考を巡らせていたシドは、無言で私物の端末を立ち上げた。とある企業の関連組織に接続を試みる。この国の情報の根幹を握るミューグレー家が経営する企業。その裏組織。代表はジェイの弟が務めていた。
 シドはジェイの弟と顔見知りだった。弟は、天才の名をほしいままにしてきた兄を嫌ってはいたが、仕事に関してはドライである。特区の内部情報を得るのと引き換えに、裏情報へのアクセスをジェイとシドにだけは許可していた。彼らが正しい情報を得られるゆえんである。

 次々と現れるパスワード入力画面。しかしシドは手慣れた手つきでブロックを突破していく。シドにはもう見当がついている。ピンポイントで探し出した情報は、それをあっさりと裏付けた。
「なるほど。急ぐわけだな」

 正しい情報を得られるのは、この国ではごく少数である。報道は全てコントロールされ、国民は一種の洗脳状態に置かれていた。圧迫感を伴わない穏やかな統制で、人々の思考は周到に剥ぎ取られていた。徹底した管理社会。それがシャルー星の現状である。
 そのような社会が形成されたのは、移民後に強力な統率者を必要としたことに起因する。統率者。つまりは、この国の王家である。

 戦闘機の爆音が轟いていた。細く開けていた窓を閉めると音がぴたりとやむ。誘導灯がまばゆく照らすなか、銀色の機体が離陸していくのが見えた。特区で最も機動性の高い複座の戦闘機である。
 このまま本格的な戦闘に入るのだろうか。1ミリアもしないうちに全ての体制は整うが、本隊が動くのは明朝からだろう。アラート待機が特区から出た後は、いつもなら北区の基地から動くのだが……。

 考え込んでいたシドの目の前で電話が鳴った。上官からの正式通達は、最初の確認時と同じ。
「自室待機継続……か」
 これもまた、通常通りのことだった。

 ◇

 真夜中に来客を知らせるブザーが鳴った。それを予測していたシドが、すぐにドアを開けた。外には思った通り、カツミがいた。

「来るの、知ってたみたいだね」
「考えてることも分かるよ」
 シドの返事にカツミが肩を竦める。
「夕方。18ミリアに出る。ドクターは?」
「連絡なし。その後だと思うよ」
 入隊一年未満。駐留艦隊への派遣すら未経験のカツミには、文字通りの初陣である。特殊能力者部隊は常に必要とされている。最も使える道具を温存などしない。

「2ミリア前まで行動制限なしだから、今からジェイに会いに行く。言伝があったら伝えとくけど」
「くれぐれも無謀運転はしないように。これを渡してくれ」
 心配顔をすぐに引っ込めたシドが、紙の箱を手渡す。表示を見たカツミが、麻薬? と聞き返して顔を曇らせた。
「劇薬の鎮痛剤だ。決していい状態じゃないと言ったろう? ジェイに会っても自分を崩さずに戻って来れるなら、私は止めないよ」
「試すようなこと言うんだね」
 小声で抗議したカツミに厳しい言葉が戻される。

「試してるんじゃない。助言してるんだ。きっと辛い思いをするよ」
 シドの苦言でカツミの表情がギリッと引き締まった。射貫くような視線を上げ、なにかを断ち切るかのように、ひとつ瞬きをした。

「ありがと」
 ひと言。それだけを残し、カツミは部屋を出ていった。閉まるドア。落ちる静寂。取り残される自分。
 その強さを分けてくれないか? 心で呟いたシドは、緊張の糸が切れたように息をつく。

 ただひとりの人のもとへ。ただ一途に飛び込んでいける。そんな強さ。無防備にぶつかっても、どんなに傷ついても、また顔を上げていける強さ。
 フィーアが死んでからまだひと月。自分が十年かけて得られなかったものを、カツミはたったひと月でつかんだ。

 素直に認めたらどうだ? 心の向かう先のない、今の現実を。誰かにではない。自分に問うてみるがいい。どうしたいのかを。ありのままの思いを。
「許してくれますか?」
 瞼を閉じたシドが、見えないなにかに向かって呟く。

 許してくれますか。それとも自分の弱さを責めますか。ただ愛したいだけ。この想いを遂げるには。そのためには。
 導き出された答え。それは彼にとって当たり前のことだった。現実を認めた時、シドは初めて本当の自分に会えたと思っていた。

 ◇

 真夜中の地下駐車場。エレベーターのランプが点ると自動扉が開いた。非常灯が照らす殺風景な空間。開けっ放しのゲートから、寒風に混ざった整備隊の車両音が入る。速足で自分の車に向かったカツミだったが、思わぬ人物を認めて足を止めた。ロイが……父親がいたのだ。

 息子の車に背を預け、カツミに目をやったロイが黙ったまま煙草に火をつけた。
「……なんだ?」
 ようやく問いを絞り出したカツミを、ロイが静かになだめる。
「安心しろ。お前を止めに来たわけじゃない」
「じゃあ、なんでいるんだよ」
「そう、睨むな」
 一瞬表情を緩めたロイが、いつもの顔に戻ると事実だけを告げた。

「今回の作戦に、私は出ない」
「なっ!」
 カツミは耳を疑った。絶句している息子を見て、ロイが、知らされてなかったか……と独り言を漏らした。
「昨日、退官願いが受理された。私はもう降りる。タイミングは悪かったがね」
「……なぜ?」
 ロイは答えない。冷気にただ連れ去られていくカツミの問い。返事代わりに、吐き出された紫煙だけが漂う。
 白く変わる視界が、その煙のためなのか、この不可解な言葉からなのか。カツミにはもう分からない。
 頭の中で微かに、しかし確かに、警鐘が鳴り響く。

「カツミ。お前は私を追い越した時、全てを許すと言ったな」
 ロイは、息子の直視に刃のような視線を合わせた。
「その言葉、忘れるな」

 低く通る声が、二人の間にどさりと落とされた。それを待っていたかのように、凍てつく風がカツミの髪を大きく煽る。
 ──束ねるものの予言が、またひとつ結実する。意識の底を洗う鏡を磨くため。導く者のために。

 困惑のなかそれでもカツミが頷くと、ロイがふっと目を細めた。静かに歩み寄り、擦れ違いざまに肩を叩く。

 足音が遠ざかり静寂が戻るまで、カツミは微動だにせずロイの言葉の意味を考えていた。ひとつだけ分かったことがあった。父はずっとジェイを愛していたのだ。彼が去った特区に何の意味も見出せず、ジェイを奪った自分のことを憎むほどに。だが……。今、父が自分の肩に託していったものは、何なのか。

 過去のことはカツミには分からない。分かっているのは、自分とジェイとの間に立ち塞がる者はもういないということだけだった。

 全てを鋭く見据えるトパーズの瞳が、まだカツミの脳裏に残っていた。目を細めた顔も。そして肩に残った大きな手の重みも。父は自分に道を譲ったのだ。なにか大きなものを抱えたまま、自分に道を拓いたのだ。

 全ての人に許されて行く。そう思いながら、カツミは顔を上げた。許されて、託されて行くのだ。最愛の人から、いのちを受け継ぐために。