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ONE 第十話 特別部隊と依頼

 シーツの上にぱたんと投げ出された細い腕。その内側にひとつだけ印された痕は赤い花弁を思わせた。カツミの溜息が部屋の空気を震わせる。それを耳ざとく聞きつけたジェイが、ぽんと聞きただした。

「どうした?」
「いや。俺って最低って思っただけ」
 投げやりな言葉だな。ジェイは少しばかり意地の悪い質問を向けたくなった。

「フィーアと寝たのか?」
「ジェイ!」
 さっと身体を起こしたカツミの華奢な肩が、小刻みに震えていた。その問いは、カツミをひどく傷つけた。

 昨日は、フィーアと離れていた時間を取り戻すことに必死だった。子供の頃のこと。親のこと。能力者であることへの苛立ち。
 内心を曝け出し合うほど、二人はよく似ていた。他人を受け入れられない心ですら。
 鏡に映したように。コインの表裏のように。カツミは、フィーアが魂の双子だと確信したのだ。

「悪かった。嫉妬なんてみっともないな」
 カツミの手を取ったジェイが目を伏せた。自分こそシドの部屋を訪ねている。嫉妬する資格などないのだ。
 そして、初めて謝罪したとも思っていた。
 謝罪──カツミは口癖のように『ごめんね』と繰り返す。だがそれは謝罪であって謝罪ではない。この言葉はカツミの自己防御だ。悪いのは自分。だからもう責めないでほしい。つまるところ、自分はまだカツミに拒絶されている。

 ジェイの心が揺れた。カツミの話では、フィーアは自分の関与を明かしていなかった。
 なぜ黙っているのだろう。逆手に取るつもりなのか。切り札を残して出方をうかがっているのか。
 自分は時々、愛情と固執の違いが分からなくなる。だが、カツミを守ることはずっと以前から決まっていたと感じるのだ。なぜだかは分からないが。

「ジェイ以上なんて考えられないよ。他を求めるなって言うならそうする」
「カツミ」
「なにを言われてもいい。殺してくれても。その方が幸せだから」
 そうやってカツミはいつもジェイの言葉を封印する。自分のいのちを盾にして。それが狡いことだとも気づかずに。

 カツミの本心は違うだろうとジェイは思っている。
 ようやく会えた兄なのだ。生き写しのように同じ心の持ち主。惹かれるなというのが無理な話なのだろう。だからこそ脅威を覚えたのだ。

 ジェイは、カツミへの異常な執着を持て余していた。全てはもう時間がないという焦りが招いたこと。だが、それは執着への言い訳になどならない。

 カツミが再び横になると、ジェイの腕が小さな肩を引き寄せた。華奢なカツミは、入隊の適性検査をようやく通るほどの身長しかない。眠ることも食べることもカツミは拒絶しようとする。抑圧された幼少期の後遺症だった。

 しばらく黙り込んでいたジェイが、ふいに話題を変えた。カツミの溜息のわけ。そのもうひとつに思い至ったのだ。
「部隊でなにかあったのか?」
 顔を上げたカツミが目を丸くしていた。敵わないなというように神秘的な瞳が細められる。
「能力者部隊に新しい計画があるみたい。軌道に乗ったらオッジ行きかも」
「詳しいな」
「あいつの端末からのデータだから」
「あいつ?」
「親父だよ。息子の名前をパスに使うなんて馬鹿だね」

 憎しみのこもった声。それを耳にしたジェイが、カツミを強く抱いてから眉をひそめた。しかしジェイは、すぐに気持ちを切り替える。いまカツミに必要な言葉を知っていたからだ。
 カツミの柔らかな髪がそっと指で梳かれた。注がれるのは、温かく包むまなざしと確信に満ちた言葉。

「カツミの戻る場所はここだろう?」
 ──たとえ空の彼方に飛び立ったとしても。どこに行ったとしても。最後に戻ってくるのは。
「約束してくれないか? 必ず戻って来ると。どこに行っても必ず。これは生還のまじないだ」

 意外そうに小首をかしげたカツミだったが、すぐに小さな笑みを浮かべて頬をすり寄せた。ジェイの真意は伝わっている。
「俺の戻る場所はジェイだけだよ」
 それは、生還しろというジェイへの真っ当な返答。
 だがカツミの心中は違った。魂だけでもジェイのもとに帰ればいい。カツミには、生に執着する理由などどこにもなかった。

 ◇

 翌日、臨時会議が開かれた。カツミが別室に向かうと彼を見つけたフィーアが隣に座る。集まったのは特殊能力者ばかりだった。
 最後に会議室に入ったのが、この特別部隊の責任者。エルスト・オルソー大佐。将来の最高責任者を期待される有能な人物だった。彼は急進派と呼ばれている。管理社会における管理された基地。危機感の摩耗しがちな軍隊において、その改革を模索する一人なのだ。

 カツミの父であるフィード・シーバルが、その先陣を切っている。彼はこの戦争のことを『ゲーム』と言って憚らない。軍隊における政府である評議会との対立も噂されていた。絶対である評議会の命令に対して、納得の行くまで議論を仕掛ける。シーバルは、特区百年の歴史の中でも極め付けの異端者だった。

 特殊能力者部隊。
 特区にある特殊能力者部隊は、この星で最も規模が大きい。とはいえ、A級とB級の能力者しか配属されない部隊である。所属するパイロットは三十名にも満たなかった。他の基地から全てのA、B級パイロットをかき集めたとしても、その倍にもならないのだ。

 特殊能力は軍事行動に有用だ。軍人に適性のあるハイレベル能力者を、特区は血眼になって探している。
 圧倒的に数の多いC級能力者は、別動隊に配置されていた。差別化は、こちらの部隊が重要視されている証拠である。

「なんだ、みんな。やけに硬いな。セメントでも食ったのか?」
 オルソー大佐が椅子に腰を下ろすなり軽口を叩いた。
 その場がいっとき和んだが、会議室の空気はすぐ強い緊張に入れ替わった。大佐の明かした予告が極秘事項だったからだ。

「これから、千二百名のクローン兵士が導入される。C級レベルの能力者だ。調整の最終段階だが、オリジナルの影響で難航しているそうだ。予測不能な挙動があるため、能力者部隊で管理することになった」
 十数年前から製造されていたのだが、当然のように極秘だった。クローン兵士の導入……。それは、今後の戦況が大きく動くことを示唆する。

「年明けまでに調整を終える予定だ。三名ずつの班で今後の行動を確認してくれ。ユーリー・ファント少佐。指導を命ずる」
 言葉を締めくくった大佐に敬礼を返した男は、軍人というよりも営業職といった風貌をしていた。

 ◇

「奇遇だね。二度と見たくないツラだろうけど」
 カツミの班はフィーアとユーリーとの三名。ただし、話し合いは仕事とは全くかけ離れた方向に向かった。
 ユーリーの最初の言葉はフィーアに向けたものである。二人は初対面ではないらしい。代わるがわるに視線を送りながら、カツミが様子をうかがう。

「いえ。ご迷惑をおかけしました」
 カツミは目の前の上官が麻薬の仲介者であることに気付いた。周囲に視線を送ったユーリーが声をひそめる。
「向こうに『聞く者』がいる。込み入った話は出来ないね」
「三人の空間をシールドしてますから、大丈夫です」
 カツミが口をはさむと、一瞬驚いたユーリーが怪訝な顔つきになって訊ねた。
「まいったな。そんな能力も?」
「たいしたことないでしょうけど」

 カツミの能力は未知数と判定されていた。能力テストでは数値が振り切れている。フィーアに使った能力についても、診察に訪れたシドを驚愕させていた。採血データは全くの正常値。能力による体内薬物の除去など前例がないらしい。

「まあ。私も依頼を断れる状況じゃなかったからね」
「依頼?」
 訝し気なカツミの声に、口を滑らせたユーリーが表情を硬くした。フィーアは俯いたまま黙っている。
「誰に依頼されたんです?」
 カツミが詰め寄ったが、ユーリーの言葉は彼とフィーアに向けられた。
「言ってもいいのかな」
 首肯する人物と無言のままの人物。それを見比べたユーリーはしばらく間を置いたが、すっとカツミの方に向き直る。

「君の知り合いの研究者だ。こう言えば分かるな?」
 音が消え、視界が歪む。カツミはもう顔を上げることが出来ない。フィーアを貶めたのはジェイだった。理由など分かりきっている。自分からフィーアを引き離すため。特区から追い出すためだ。

 やがてカツミの耳に消え入りそうな声が届いた。
「カツミ。任務明けに部屋に来て」
 コインの裏側は表にはなれないのだ。決して。
 それは百年前から定まっていたこと。でも二人はそれを知らない。知るよしも……なかった。