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ふたつのうつわ 第5話 芯をとる

「ノーラが縮んだああ!」
「いや、そこは元に戻っただろ」

 トーマの言葉に一応ツッコミをいれてから、ナツキはノーラの前にミルクを置く。そして、いつもとなんら変わることなく、ピチャピチャと音をたてる灰色の猫を、まじまじと見つめた。
 二人の様子に先生がひとつの推測を出す。

「不思議なこともあるもんだねえ。レイヤーが無くなる前兆かな」
「あっ」
「そっか」

 三人で作業台の椅子に腰を下ろすと、珈琲に口をつけた。窓から吹き込む風は、夕方よりも強くなっている。

「そう言えば、レイヤーの研究をしてる人が島に来るようなことを、学長が話してたよ。専用のカラーテストを全校生徒でやるって言ってたな」
「他にもいるってこと?」
「いるだろうね。地震の後遺症なんて言われてるけど、トーマくんはまだ十三歳だし、他に原因があるんじゃないかと私は思ってるよ」

 自分と同じ疑問を先生も持っていたのかと、ナツキは心強い気持ちになった。

「じゃあ、ひとまず続きをやろうか。まずは私が作るから、トーマくんは見ててくれないかな」
「はい」

 先生が、手回しロクロの真ん中にテニスボール大の土をポンと置いた。上を叩くとパンケーキのように平たく潰す。
 ロクロを回して、竹べらでスルっと丸く印をつける。直径を測ると、八センチ。
 今度はロクロをゆっくり回しながら、八センチのパンケーキを残して外側を切り落とす。
 これが底になる。

 少しだけ水をつけたハブラシで、パンケーキの上の外周に傷をつける。これから乗せて行く土紐を、密着させやすくするのだ。
 傷をつけながら、ドベ……接着剤代わりの泥も同時に作ることになる。とはいえ、この作業は、人によって全くしないこともある。

 一段目の紐を、傷をつけた部分にぐるりと乗せていく。少しだけ太くした紐である。土台はしっかりしていないと、土を上に上げるにつれて不安定になるからだ。
 一段目を指でなすりつけながら一周乗せると、内側になる部分は、紐を上から下になすりつける。外側は下から上に。垂直ではなく三日月形になすりつける。

 乗せた紐を指で挟み、厚みを均等にしながら垂直に上げる。この時に土を締めるように指で挟む。
 後は残りの紐を同じように上に乗せる。
 ただし二段目からは、内側は下から上になすりつけ、外側は上から下に。
 分厚いコップの形になった。厚みを整える。
 土の継ぎ目は、内側も外も丁寧に指でなすりつけて消していく。
 まだ、ほとんど水は使っていない。

「この手順も人によって全然違うんだよ。面白いんだけどね。コテを使う人もいるし、二段目からは螺旋状に一気に上げていく人もいるしね。自分にとってやりやすい方法を、どんどん見つけたらいいよ」

 トーマが先生の真似をして作り始めた。ナツキの手は完全に止まってしまっている。
 底になる土の直径を決める段階から、トーマは手こずっていた。何度か線を引いて、ようやく八センチのラインが引けた。
 線の上に竹べらを突き刺して、ゆっくりと手ロクロを回す。竹べらを動かさないことがコツだ。なんとかクリア。これでロクロの中心に底がついたことになる。
 くるりとロクロを回して、切ったところを指で締める。芯についていると指に抵抗なく回る。

 ──芯をとる。
 土台を厚くする。土を締める。厚みを均等に。最初は真っすぐ上にあげる。

 ロクロを使う時は、土が真ん中についていないと後々まで苦労する。
 成形の時も削りの時も芯をとるのが大事だ。中心についている土は回っていても静止したように見える。

 まるで人生みたいだねえ。
 以前、先生が言った時、ナツキはその意味がよく分からなかった。しかし、今なら分かる。
 自分の芯が取れていれば、周りに振り回されることはない。土台を厚く作っておけば、そうそう倒れることもない。色んな場面で生き方のヒントを見つけるのだ。

 トーマが土紐のコップを立ち上げた。
 ここから水を使う。これまでは、土にある水分だけで積み上げている。
 先生が軽く水を絞ったスポンジで、コップの内と外を湿らせた。
 ロクロをガッと回す。
 左右の人差し指で内と外から土を挟むと、八時の位置で固定する。

「指がブレないようにね。脇をしめて、手をしっかり固定して」

 最初からそれが出来れば凄いだろうが、たいていの場合、土の動きに指が持っていかれる。トーマも例外ではなかった。
 指に力が入りすぎていた。分厚かった一段目の部分がどんどん薄くなってしまう。
 上はまだ厚い。重力に土が負ける。
 そして、上の重みに耐えられなくなって、土がどんどん下がり……崩壊。

「わあああ! 崩れたあ!」

 思った通り、定番の失敗である。

「さて、予備の土でもう一回いこうか。水をつけすぎないことと、指は一段ずつ動かして上げていってね。指先だけで挟んで」
「はいっ!」

 しかし、トーマは楽しそうだった。
 最初から上手くいくことなどないのだ。失敗を楽しめるくらいの余裕があるほうがいい。ナツキは再び、自分の作品に向き合った。

「にゃあああああ」

 珍しくノーラがナツキの足元にきて、すり寄っている。
 ノスタルジックな路地裏だ。ナツキは猫を配置しようと思い立つ。

 小さな土のかたまりを、伸ばしたり尖らせたり。四匹作ると、石畳と屋根の上、階段の途中と部屋の窓枠に置く。
 作品に動きが出た。

 焼きあがった後に、細いワイヤーを無数に渡して、電柱に電線をはる予定である。
 路地にはみ出すように置かれたプランター。壁に設置された室外機。取り入れ損ねた洗濯物。細く開けた窓からカーテンの端が覗く。

 足元を見ると、まだノーラが見上げていた。水色の大きな瞳。
 こいつは俺を安心させようとしてたのかなあ。
 ナツキの気持ちを知ってか知らずか、懐かない猫はふいっと顔を背けて、今度はトーマの足元にすり寄っていった。

 レイヤーの研究者。カラーテスト。
 いつになるだろう。その前に、台風が来るだろうけど。
 ざわざわと揺れる森の樹々の音。虫の声。時計を見ると九時を過ぎていた。

 トーマの二作目は、どうやら形になったようだ。
 最後に口縁を弓で切って、高さを揃え、なめし皮で整える。畳つきの部分に竹べらで筋をつけ、切糸を回して、ロクロから切り離す。作品板に移して完了。

「出来たあ!」

 少々歪んでいるが、まずまずの出来だった。初っ端にしては上等である。

「明日、来れるようなら、それに合わせて乾燥させておくよ」
「もちろん、来ます!」
「じゃあ、明日は削りだね」
「はいっ!」

 先生が成形直後のサイズを測って、トーマに記録を促す。スケッチブックのラフ画にサイズが記入された。
 作品には、ふわりと大きなビニールが被せられる。

「じゃあ、道具を洗って。片付けと掃除をしてね。土は排水口に流さないように。バケツの上で洗って」

 金属のものはタオルで拭き取り、錆びないものは水で洗う。ロクロも丁寧に拭いて。最後に作業台を拭き、床を掃く。
 本日の陶芸教室。終了である。