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【自己紹介】如月ふあ 2024

さて、面接とか初対面の人に対して、どんな自己紹介をするか。
わたしはどこまで話していいものかヒジョーに悩む。

いつぞや、就職面接で同じことを繰り返し聞く面接官に辟易したことがある。今の時代のようにネットでちらっと検索すれば最適な回答が載っている時代ではない。いやネットはあったが活用できていなかったし、当時はうつ病の寛解期と思っていたので(実際は双極性障害Ⅱ型の寛解期)、病気について語るのも憚られた。正直、ぶっちゃけたほうが話は早かったかもしれん。

ただ、看護師の面接で「夜勤できません」とか「病棟よりデイケアで」とか言ったもんなら、採用されなかったろうなあ。
なんのために就職するかって、生活のために決まっとろーもん(笑)

そんなわけでわたしは、当たり障りのない言葉でお茶を濁し続けた。ただ病棟内の見学だけはさせてもらった。のちの上司が案内してくれたのだが「ぜひ入職して下さいね」と言われたので、よほど人手が足りなかったのだろう。
仕事を始めると一か月に二人ずつ辞めていくという酷い状況だった(笑)
わたしは三か所目の職場だったので、エルダーというか新人研修係なんてのは付かなかった。見て覚えてね、人いないしってやつ(笑)ひでえ。
新人なのにマニュアル作ってと頼まれるし。ひでえ(笑)

そこでの勤務は七年続いた。
最初の職場では十二年。次のとこは六年。転職のきっかけは全て病気の悪化で、休職が必要になったからだ。だいたい辞める二年くらい前から体調を崩す。それでも本人に自覚がないので「しんどいけど頑張る」ってことに。
ギリギリまで頑張る。朝に起きられなくなるまで頑張ってしまう。
病識がないって怖いもんだ。

年齢を重ねると精神状態の悪化に付随して身体に不具合が出てきた。
高血圧を最も自覚していた。上200超えてたし。頭痛が酷かったし。
「あーこれは脳梗塞で死ぬかもー」と思ったら、あっさり辞める決断が出来た。こういう時って自分に対する客観性はほんとない。仕事でなんのインシデントも出さなかったのが不思議なくらいだ。慣れた仕事っていうのはあるけど、ギリな状態でやってたと思う。

50歳も間近になってから、仕事と一人暮らしをやめて実家に戻った。
最初の数か月は記憶にない。ほぼ一日眠っていたと思う。出かけるのは病院受診の時だけ。

少し落ち着いたら今度は急に動きだした。母親といるのが息苦しかったからだ。足音がするだけで身体に緊張が走って部屋のドアに鍵をつけた。つけるまでが大変だった。一度は母親にドアを蹴破られたが、すぐに新しく付けなおした。

一難去ってまた一難。今度は毒親との闘いだ。子供は親の所有物と思っている相手は、常に監視下に置いていないと気が済まない。
そんなわけで、以前暮らしていた場所に長距離バスで何度も向かった。一度行くと一週間くらいホテル暮らし。実家のある田舎と違って地方都市なので、商業施設も美術館も博物館もある。勝手知ったる街だ。自由を謳歌できた。この頃は軽躁だったのかもしれない。退職金を使い込むことに何の不安もなかった。

うーむ。こんな話を自己紹介でしても、相手ひくよね(笑)
思春期の十年間はずっと虐待(いじめ)を受けて、毎日毎日自殺することばかり考えていた。高校時代信頼していた友人に、卒業と同時に人格否定されて自己崩壊。この時に病気が発症したようだ。それから半年記憶がない。

不登校はしたことがない。自宅にも居場所がなかったから。父親はギャンブル依存症で子育てに無関心。両親の仲は最悪だった。何度か離婚寸前までいった。親の不仲の八つ当たりで虐待を受けた。全身みみず腫れになった。

学生時代を思い出す物は全て捨てた。同窓会なんて行ったこともない。学校のあった地域に足を踏み入れる気にもなれない。わたしの取っておきたい思い出は就職して一人暮らしを始めてからだ。小説を書き始めたのが、二十代半ばだった。

三つ下の妹は結婚して一児をもうけたが、私はお付き合いをしても長続きしたことがなかった。軽躁の時に付き合い始め、うつ期になって別れていたのかもしれない。相手には迷惑をかけたことだろう。ほんとごめん。
その頃はまだ自分はうつ病と思っていたので、そして転職前に受診するだけで継続的な受診はしていなかったので、病気のコントロールは出来ていなかった。若かったから体力で押し切っていけたのかもしれない。

そんなこんなで、50代になってからようやく診断がつき、対処法もなんとなく分かってきて、今こうして文章化できるくらいにはなってきた。
昔は立派な梁を見るたびに「いい首吊り場だなあ」などと思っていたのだが(おい)、歳を重ねると「これまでの分を取り戻したい」と欲が出る。
これもまた過剰になると軽躁の時にはしゃぎすぎる原因になるので、抑える必要があったりするわけだが。あー面倒(笑)

父親は随分以前に病死したが、母親は健在だ。それなりにバトルもある。
しかし歳とともにスルー技術は身についてきたと思う。たぶん。


三十代の頃はやたら心理学系の勉強をした。客観的に見るとひたすらもがいていたのだと思う。フロリダにも研修に行った。一定のものは得たけれど、それを仕事にするとか、他人に広める気はない。自分のために勉強しただけだった。資料も全て捨てた。今ではネット上にたくさんあるし、どんどん更新していく必要がある。二十年も経ったものは化石だ。

性格はおだやかな方だと思う。ただやりたいと思ったら行動は早い。わりとせっかちかもしれない。「石橋を叩かずに川を飛び越えてから、後ろをみてジッと思案しているタイプ」と他人に評価されたことがある。
人間関係はドライだが、常に唯一の拠り所を探している。実は寂しがりなのかもしれない。ドライなのは孤独が怖い裏返しなのかも。もしくは感情表現が苦手なのかもしれない。

趣味は執筆と陶芸と写真。
執筆は二十代半ばからやっている。うつ期には全くしていなかったが。同人誌を数冊出した。商業化を目指すガチ勢ではない。うつ期になると全く書けないのでガチになりようがない。読んで応援する方が好き。好きなジャンルは人間ドラマ。ミステリー。

陶芸は三十代に教室に通って(素晴らしい師匠だった)今は地域の陶芸サークルで活動している。ほとんど一人で作る。借り窯だし作るペースは亀の歩み。自分で使う分くらいは揃えたいと思っているけど、陶芸は奥深くて追及すればするだけ沼にハマっていく。気まぐれにハンドメイドサイトで売ることもある。今は亡き師匠は、この世で最も尊敬できる人だった。

写真はミラーレスでよく撮っていた。現在は目を悪くして休んでいる。マクロレンズでの接写が好き。這いつくばって撮るカメラ小僧(もうやってないよ・笑)

好きよしの飽きやす。新しいものに飛びつくが飽きるのも早い。コレクションが好きだが捨てるのも早い。DIYも好きで、壁紙を貼ったり床シートを貼り換えたり。しょっちゅう模様替えをしている。たまにお菓子を作る。

二十代からのスモーカー。アルコールはほぼ飲まない。二杯飲んだら頭痛がする体質。森永製菓のビスケットサンドアイスが好き。
皮膚が弱いので石鹸愛好家。髪を染めると派手にかぶれて遮光器土偶になるので、現在はグレイヘアー。洋服はほぼユニクロか無印。
若いころから過食と拒食を繰り返した結果、少々のことでは痩せない。精神科医に出される薬は副作用で太るのだが、内科医にはあと5キロ痩せましょうと言われている。どうしましょうかね(笑)

現在は実家で母親と妹(とっくに離婚した・笑)との三人暮らし。
しぶとく生き残って、家のDIYをして庭を造り直し、猫を飼うのが夢。


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