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ふたつのうつわ 第17話 星のうつわ

 三つずつ素焼きした、ゴブレットと鎬(しのぎ)のカフェオレボウル。そのなかで最も出来のいいものに、二人は釉掛けをした。

 トーマは全体に筆で釉薬を塗り、クリスタルの粒はピンセットで一つずつ鎬の窪みに置いていく。内側も配置を気にしながら、滲みをつける部分と、つけない部分のバランスを取る。
 焼くと均等に溶ける釉だった。指痕(ゆびあと)のつくものより、扱いが楽である。

 ナツキは一発勝負だ。タブレットのアプリが、一秒に一回音を鳴らす。
 何度も素焼きの欠片で時間を測ったのだ。その通りにするだけ。
 釉薬をしっかりと混ぜる。泡立たないように丁寧に。底のザラリとした感触がなくなった。タイミングを合わせ、素焼きのゴブレットを釉に沈める。

 カチ。カチ。カチ。カチ。

 十秒。二十秒。二十五秒……。

 狙った秒数に達すると、一気に引き上げる。
 口縁の釉薬のしずくを左右に流す。表面に浮いた気泡を指で均(なら)す。

「出来た?」

 トーマが心配そうに見つめていた。ナツキは親指を立てて返す。

「出来た。テストの時みたいな釉割れもない。今までで一番いい感触だ。これで行く」

 分からないことは、いくらでもあるのだ。
 しかし、挑戦した時間と経験は無駄になどならない。解明できない謎に挑み続ける博士のように。
 ナツキは手応えを感じていた。今回は前とは違うと。もし失敗でも後悔はない。

「じゃあ、トーマの器から先に焼く。焼成温度が低いから、早く終わるしね」
「うん。ありがとう。お願いします」

 たったひとつの器のために、窯の電源が入れられた。いつものように、ブォンという音を聞いたナツキが、ふとカレンダーを見上げる。

「あれ、今日って大晦日じゃん」
「……もしかして、ナツキ、日付け忘れてた?」

 くすくす笑い出したトーマに、ナツキもつられて笑う。

「ちょっとだけ窯のまわりを掃除しよっか。先生がお神酒と塩を用意してたはずだ。窯の神様のご機嫌が悪いと困るからな」
「うん!」

 ◇

 窓を開け放つと冷たい風が吹き込んできた。
 中型電気炉の掃除をして、まわりも掃く。支柱やサイコロをチェックして、棚板も手入れが必要なものを別にする。
 釉薬が流れて棚板についたものがあるのだ。その場所には作品を置けない。再び焼成すると、溶けだして他の作品にくっついてしまう。
 なので、付着した釉薬を削り取り、再びアルミナを塗って棚板を保護する必要がある。

 拭き掃除を終えると、お神酒と塩を置いた。窯の神様への参拝作法など知らないので、一礼だけをする。

「あとは棚板の手入れだな。再生土も作ろう」
「ぜんぶ自分でやるのって、なんか気分いいね」
「だろ? 全体のつながりが分かると、失敗の対策も浮かびやすくなるんだ。最初から最後までやって、はじめて分かることってあると思う」

 ナツキの言葉に深く頷いたトーマだったが、時計に目をやると慌てだした。言われた相手は余裕だったが。

「ナツキ、門限っ!」
「あ。今日だけは大丈夫」
「えっ?」
「午前一時までならセーフ。寮母さんも、テレビ観てて起きてるしね」
「ええーっ?」

 展示室も片付けをして、暖炉の火を消した。ノーラのご飯を確認すると、戸締りをして工房を後にする。
 そう言えば、今日のノーラは近寄って来なかったなと、ナツキは思う。猫でも感じるほどに、鬼気迫る雰囲気だったろうかと。まあ、確かにそうだったが。
 ずっと寮と工房の往復だった。元旦だけは息抜きをするかとナツキは思う。

「トーマ、明日はどうする? 寝正月?」
「うーん。工房で過ごしたい。寮で勉強って気分じゃないし」
「暖炉でフレンチトーストでも作ろうか?」
「うわあ! なにそれ、最高!」

 どちらにせよ、トーマの作品の窯出しをしないと、ナツキの作品は入れられないのだ。
 三日の夜が次の窯入れだった。スケジュールはギリギリである。

 年が明けるなあとナツキは思う。
 あと三か月。やはり、ちょっと寂しく思えていた。

 ◇

 新年三日目の午後。トーマの作品の窯出し日である。

「窯、トーマが開けろよ」

 炉内の温度は50℃を切っていた。冬は夏に比べると冷めるのが早いのだ。
 電源を落とすと、トーマがそっと窯の扉をあけた。隙間から覗きこんだトーマの顔が、ぱあっと明るく変わる。

 成功だった。
 外側の鎬しのぎに置かれたクリスタルは、緑と金に滲み、紫の地はハッキリと鮮やか。クリスタルは鎬の溝に留まり、流れすぎていない。内側も配置に気を配った成果が出ていた。綺麗だ。
 天体写真に似ていた。遠い彼方にある星雲の写真に。
 ナツキは同じものを身近で見た事がない。個性的な一点ものである。

「やったな!」
「うん、やった。やれた。一人じゃ出来なかった。ナツキ、ありがとう!」
「大したことないって。高台、磨いとけよ」
「うんっ!」

 素直なトーマと、照れ屋だが頼れるナツキ。いいコンビである。

 さて、次はナツキの作品の窯入れだ。
 ど真ん中に入れる。焼成温度1250℃。電源オン。
 振り返ると、ペーパーがけを終えたトーマが、手のなかの器をじっと見ていた。
 自分の結果が出るのは四日後か、五日後。
 やれることはやった。後は運を天に任せるのみ。

「トーマ。掃除の続きしよっか。先生が帰って来た時に、びっくりさせようよ」
「いいね。今日はなにをする?」
「ガチャンだな」
「えっ?」

 工房の裏手にある、作品の廃棄場。手袋とゴーグルをつけると、ナツキが失敗作を豪快に投げた。コンクリートの壁に当たったぐい呑みが砕ける。
 食べ残し生クリームと、ミルクプリンのぐい呑みである。割れた欠片の断面を、ナツキがしげしげと観察する。

「すげえな。ほんっとにプリンの断面だ。完全に埋まってる。あー。削りもマズイな。高台脇に厚みがありすぎだ」
「僕もやっていい?」
「もちろん。怪我するなよ」

 本焼きの失敗作は、投げつけた後にハンマーで粉々に。
 素焼きの失敗作は、テストピースに出来るように丁寧に割り、種類別に箱に入れておく。

「トーマ。なんかムカツクことあったら、ここに来て割りまくれよ。スカッとするからさ」
「はははっ。失敗作も役に立つんだね」

 どこかの窯元では、庭の敷石がわりに割った欠片が敷かれているらしい。考えてみれば、贅沢な話だ。
 先生の失敗作も大量に割られていた。ほんの一か所、出てしまったブク。ほんの僅かに色移りした表面。僅かな反り。
 言われないと分からないようなものである。しかし、自分が納得していないものを売りに出すわけにはいかないのだ。
 信頼を築くのは難しいが、壊すのは一瞬だ。

「明日は棚板の手入れと、再生土の作り方だな。これで作業が一回りだ」
「うん。自分でやってるって感じがする」
「失敗しても成功しても、自分がやったことだからさ。誰のせいにも出来ない。それって、スッキリしてていいよな」

 ナツキが個人作家を目指す理由は、それだった。
 誰のせいにも出来ない。その代わり、他人に責任を押し付けられることもない。
 全てが自分の見える範囲で出来るのだ。
 なにより、好きなことなら続けていける。

 穏やかな天候が続いていた。
 最後の窯入れも済んだ。ついでに……と言えば御幣があるが、宿題も全て終わっている。
 本当の卒業制作の完成は、もう間近となっていた。