奇麗なままだったらいいのに、と彼女は言った

心理学は嫌い、と彼女は言った。

待ち合わせなんかしていない屋上を俺と彼女は放課後になると訪れ言葉遊びのような戯言を話し合った。

「どうして?」

「だってすべての行動に名前を付けるから」

彼女は飄々とした顔でそう答えた。

いつだって唐突に何の脈略もない言葉を放つ。
ここで話すことにルールなんてなかった。ただ、お互いの考えている言葉を相手にぶつける。それがキャッチボールになることもあれば壁打ちにしかならないこともある。だけど俺は彼女のそういうところが好きだった。彼女も俺との会話にそう思ってほしいとさえ思っている。だけどそうじゃないかもしれない。慎重すぎるくらい臆病。そんな言葉が似あう。

「言葉をつけて勝手に分析して相手のことを分かった気になる。 言葉や顔で相手の気持ちを阿ることなんてできないはずなのに。 きっとそれはエスパーなんだよ」

風が顔を撫でる。どこか遠くから運動部の掛け声が聞こえ太陽は役目を終えたかのように弱くなった光を放ちながら俺たちを赤色に染め上げていた。

「辛いはずなのに笑っていたり、楽しいはずなのに笑顔を上手に浮かべられない。 こんなことだって頭のいい人は名前をつけて知った気になるんだ」

「哲学のままだったらいいのにな。 人生の意味なんてものをあーでもない、こーでもないって言いながら考えるのは楽しそうだ」

「哲学の弟子はきっと真面目に自分に酔ってたのかもね。 考えることを始めたからありもしない恐怖に恐れちゃう」

「アダムとイブって知ってるでしょ? 禁断の実を食べて楽園から追い出された人類最初の二人」

フェンスに体重をかけるとキシッと音が鳴った。

「実を食べるとお互いが裸であることに羞恥をもってイチジクの葉で体を隠すの。 だけど葉っぱはすぐに萎れて隠すものがなくなってしまう。 だから神は二人に革の服を与えて隠させるって解釈があるの」

「最初の原罪だな。 革を作るために動物を殺さなきゃならない」

「そう。 考えることを始めた途端、人間の都合で罪を犯すの。 だから実なんか食べないで罪を犯さないで奇麗なままでいたほうが幸せだったのかもしれない」

「毎年たくさんの猫が殺処分される。 飼えなくなったから子供を産んだから、ペット禁止のマンションだから。 そうやって人の都合で殺される。 エゴの塊だ」

「でもね、私は私が大事にしていることだけが無事でいてくれたらいいな。 だから私も奇麗なものじゃない。 エゴだらけだ」

時報のサイレン。
夕焼け小焼けで日が暮れて

「奇麗なままで終われたらよかったのにね」

そう彼女は言った。

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