コロナ隔離病棟日記その1

熱っぽいなとは思った。
熊本からの帰りの飛行機で風邪をひいた時と同じ関節の痛み、震え、寒気を覚えた。
(きっと旅で出た疲れに違いない)と考えてはいた。実際、自由気ままなうつ病フリーター生活は遠くに行くこともなくなったし泊まりなんてもってのほかだ。体力が落ちたからも理由になるだろう。
そう考えていた時期が私にもありました。

翌朝、熱を測るとやかんを沸かすくらいの高熱であった。
内心、(あーこりゃやらかしたな)と諦念を浮かべながら近所のクリニックに電話をしてPCRを受けてみた。
結果は陽性。覚悟はできてはいたがまさか熊本でかかるとは露とも思わなかった。
東京で罹ったならばまだ納得もできたのに熊本でかかるなんてある意味器用なことをするなとひとりごちる。

自分の意思やリズムとは反してトントンと物事が決まっていく。
「今日は家から出るな。 明日迎えにいく」と行政から連絡があり連れてこられたのは東京のど真ん中にある体育館のような施設だった。
おそらくオリンピックのために作られたのだろうが思惑と違った使われ方をしているのだろう。
まるで野戦病院だ。
自由は保障されているがプライバシーはレオパレスより薄い。どこか遠くの部屋の咳まで聞こえてくる。
咳をしても一人、と詠んだ詩人がいたがここでは一人ではない。不特定多数だ。特定なんかはできない。

せめてもの救いは集団生活だが集団になることがないことだった。
人と関わるのが苦手なのに全く知らない同じ病人で慰め合うような事態になったら目も当てられない。
一人で音楽を聴くかスマホをいじるか、こうやって文章をただひたすら打ち込んでいくだけか。

時間の経過がとてつもなく遅く感じる。壁はあるが完全個室ではないので他人を意識せざるを得ない。
一挙手一投足まで監視されているような気持ちだ。
個人主義を叫ばれているがここにきたら全体主義にならざるを得ない。施設内ルールを強制されているおかげで禁煙と禁酒まで達成ができそうだ。内心、ふざけるなと叫びたいが叫ぶほど体は回復はしていない。
暇つぶしとして薬の実験体まで提案されたが俺の持病ではデータにならないと一蹴されてしまった。
一日一万稼ぐのがフリーターにとってどれだけ大事なのか分かっていないのだろう。国は。

記念すべき初日の晩飯はタコライスだった。学生の頃、沖縄に行って食べたあの味を懐かしみ無味無臭な部屋で辛気臭く食べることに絶望すら抱いた。ここはひたすらに白かベニヤ版だけだ。
ドリンクは飲み放題だが飲みたいものなんてお茶くらいしかない。ひたすら茶を啜るだけ。
共有スペースはジジババがニュースを見ながらマッサージ機に乗っかるスペースとなっていた。
若い人間はわざわざ外に出るわきゃない。部屋でもテレビは観れるしWi-Fiだってある。男の視線を浴びるくらいなら部屋でじっとする方が賢明だろう。実際自分もそうだし。
明日は何をして時間を潰せばいいのかまた考えねば。
というか俺別に働きたくもないし何かしたいわけでもなかった。
ここで死ねたら悔いはないかな。
意味ある死なんてないんだよ。
戦争が始まった。外じゃ多くの人の死が数字として流れてくる。意味のない弔い。きっと俺の死も数字の一つになる。
名前の知らない誰かの死は時間が経てば砂漠の砂に隠れるように沈んでいく。深く。深く。

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