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今福龍太・上野俊哉 対談イベント 『気流の鳴る音』からコミューン論の現在まで


〇日 時:2023年10月29日(日)15時〜17時(14時オープン)
〇入場料:2000円+1ドリンクオーダー(当日お支払いください)
〇事前予約制:定員10名
※定員に達したため、募集は締め切りました。
〇会 場:気流舎
〇店 番:Tomas、harpo

以下、開催にあたって今福さん、上野さんからのメッセージです。
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 タラスコ高原に吹きよせる疾風。ソノーラ砂漠を攪拌する気流。パリクティン火山の炎をあげる噴煙。ミチョアカンの荒野を襲うスコール。パレンケの密林にただよう濃霧・・・。

 知の衝迫としての〈真木悠介〉の思考がおそらくは宙づりとなり、微塵となって飛散したかもしれないメキシコの荒々しいエレメント、大いなる自然の呼びかけ。それを受けとめる彼の「エソテリカ」、いや向うからやってくる無人称の「エソテリカ」の謎をめぐって語りたい。

text by 今福龍太
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 真木悠介はどのようにメキシコ、あるいはインドと出会ったのだろうか?

 それらにかぎらず、真木のそうした土地、場所、地勢へのこだわりと夢、そして紡がれた言葉たちは、かつての第三世界論やポスト植民地主義論に帰することはできないだろう。  真木の旅や「よそ」についての多彩でゆたかな視角は、イヴァン・イリイチがどのようにメキシコと出会い、フェリックス・ガタリがなぜブラジルに、あるいは日本にこだわったのか? という問いと重ねて連動させることもできる。   

 真木悠介にとってマルクス、そしてカスタネダ(あるいはドン・ファン)とはどのような存在であったろうか? マルクスとカスタネダの「と」は、政治と詩学の「と」でもあり、この「と」は、カリブ海、琉球弧、さらには朝鮮半島からフィリピン、インドネシア・・・へと炸裂する「群島」を幻視するときに梃子となる「と」でもあるだろう。  

 今福龍太と上野俊哉はこれまで、互いの著書やテクストの読後感を語りあうさい、なぜかしばしば真木悠介について語りあうことがあった(見田宗介について語りあったことはあまりない)。言うまでもなく、『気流の鳴る音』は二人にとって決定的な書物であった。今回の集いでは、この書について語るのみのならず、『人間解放の理論のために』や『現代社会の存立構造』といった社会理論系の著作についてもふれられるかもしれない。  

 基本的には、真木の移動と旅、特定の場所への想いや姿勢が読みとれる書物たちにふれることから、この読みの集いははじまるだろう。今回はひょっとしたら、真木悠介に対する、あるいはその一部の言葉たちに対するかすかな違和すら語られることもあるかもしれない。

text by 上野俊哉

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