とても狭い中で生きてたんだよ(昔話)
突然ですが昔話をしたくなったので(苦笑)
今思うといろんなことがあった学生時代を思い返すことがあって
当時はとても狭い世界で生きてたなと、思ってることをただただ書いてみる。
中条町(現胎内市)で生まれ育ち、今は一応…市内住みだけど、当時は新潟市といえば個人的には大都会なイメージだったなぁと
それもそのはず高校でお隣の新発田市に通うまで遊びに行くのも買い物も近くの町内という行動範囲がものすごく狭い学生時代でした。
高校で新発田市の友達ができた時には「めっちゃ訛ってるな」と言われる程、中条は独特の方言があるのだなとその時に知る(今思えば新発田もだいぶ訛ってると思います!w)
昔よく流れていた某不動産屋さんのCMが、字幕が出てるとはいえ全く何言ってるかわからかった本当に。
コノトチ イツモ アキチンガーテ
????
ジヌシサンテ ナニシテガー
????
え、今のどこの字幕を喋ってました??
こんなかんじw
市内まで行くなど大イベントで、家族に申告すると「お土産よろしく!」とちょっとした旅行レベルw(電車で1時間なのにw)(お土産はなぜか決まって雪苺娘)
中学の友達と初めて新潟に行った時の感想は
「うおー!ビル高ぇー!!」
ってはしゃいで騒いでたのは今でもよく覚えてる笑
まとめると
新発田市→都会
新潟市→大都会
中越、上越→もはや別言語使いの国外
個人的にはこんなイメージでした!
(上越中越住みの方々ごめんなさい)
以上、とても狭い中で生きていた学生時代だったなぁというお話でした!
おわり