ショートショート「仏像wars」

 目の前に立ち並んだ仏像たちを一体ずつ、乾いた布で優しく撫でるように埃を取り、磨いていく。艶やかに光るその表面は、どこまでも美しい曲線を描いて、その身体を形作っていた。仏像の冷たい体温が、指先から心地よく僕に伝わる。こうして近くで眺めれば眺めるほどに仏像の肌は深く静謐な色を見せる。穏やかなその顔は、それを見る僕の心までも波一つ無い水面のようにしてくれるのだった。
 こんな風に毎日荘厳な仏像たちを眺めていられるのも、薄い布一枚を隔てて触れることが出来るのも、この仕事の特権だと思う。

「五十嵐さん、また来たんですか」
「なんだ、来ちゃ悪いか?」
「いや、この館にそんなに来る人も珍しいですから」
「今年も仕事がねえんだよ。だからいらだつ俺の心を、こうやって落ち着けてもらってるってわけよ」
 睨み付けるように仏像たちの前に立つ五十嵐さんは花火師だった。花火師歴三十年、毎年花火大会の成功に尽力してきたがこのご時世、今年も花火大会は全て中止になった。
「一抹の希望を信じて花火自体は作ってたんだがな、結局ダメだと」
「今年こそ見たかったんですけどね」
「打ち上げちまえばいいんだよ!人が集まる必要なんかねえんだからよ、俺達の花火があの大空高くにどんと打ち上がりゃあ、どっからでも見れる」
「来年こそは出来るように、祈っときましょう」
 僕と五十嵐さんは仏像たちに向かい手を合わせた。
「にしてもやっぱここは人がいねえな。しっかりしねえと潰れちまうぞ?」
「流石にちょくちょくお客さんは来てますけどね、けどやっぱり他の館の方が人はいます」

 この場所は国立の大きな美術館だった。世界中から集められた貴重な美術品、工芸品の数々が収められている場所だ。そのあまりにも膨大な量を展示するために、敷地内には大きな館が全部で六つ建っている。その中でも僕が働いているここは、一番隅でひっそりと仏像や関連品を展示する館だった。この場所に訪れる人々は大抵目当ての絵画や現代芸術の作品を鑑賞すると満足し、こんなところに目もくれず帰ってしまうことが多い。
「凛々しくて、優しくて、美しくて、神秘的で、こんなに素晴らしいもの他に無いのにな」 
 僕は夕暮れになり数少ない客足すら途絶えると、決まってそんなことを呟いていた。
 仏像と一括りに言ってもその種類は様々だ。穏やかな顔であぐらをかき、右手を上げこちらに向け、左手は下げたままこちらに差し出すような形をとっていることが多い如来。煌びやかな衣装を身に纏い、時には剣を持っていることもある菩薩。怒りに震えたような顔をしながら、武器を携え戦闘の構えを取る明王や阿修羅。腕だって四本や六本生やしている仏像もあるし、時にはそれ以上だっている。大きさだって千差万別で、人々はそれぞれの願いを込めながら、今までこうした仏像を彫ってきたのだ。
 そんな仏像たちは僕達を見守り、度々生じる数々の疫病や災害から、僕達を護ってきた。彼らの身体の表面に浮かぶ錆びや綻びは、そんな辛苦の跡なのだ。
 そしてまた災害と呼ぶべき危機が、僕達を襲い始めるのだった。

 その日は夜空に流星群が走るという日だった。仕事を終え帰宅した僕は、ベランダに出て夜空を見上げた。そこには雲一つなく、既に満開の星達が散らばっていた。
 しばらくぼんやりとそんな星空を眺めていると、その中の一粒の光が少しずつ輝きを増していくように見えた。さらにはその光は大きくなっていくばかりではなく、ゆらゆらと左右に揺らめき始めるのだった。
「なんだ?」
 そしてその光の他にも、星に見えていた他の光の粒も次第に大きくなり始める。気が付けばその数は増していくばかりで、有に三十は超えるほどになった。それが流星群では無いことは明らかだった。僕の背中には冷たい汗が伝っていた。その光はまだ少しずつ大きくなり続けた。そしてそれと都市の街並みとの距離が十分に縮まった時、それが銀色の円盤だということが分かった。
 銀色の円盤から雷のような激しい光線が一本、僕達の街に降り落とされた。十数キロは離れているはずの僕の鼓膜をも破るような爆音が響き、それに遅れて衝撃が僕の身体を包み、街は揺れた。
 部屋の中に吹き飛ばされた僕が顔を上げると、テレビには緊急中継が映し出されていた。既に空には幾十の円盤が飛んでおり、光線を降らせ続けている。爆音と衝撃も響く。テレビに映っていたのは破壊され、吹き飛び、燃えていく都市の光景だった。「きけん にげてください」というテロップが流れ始める。その様子を映していたカメラもその衝撃に吹き飛ばされたのだろう、画面はテロップを残して真っ暗になる。
 僕は家を出て走った。急がなければ仏像たちが大変なことになる。街は混乱に包まれ、泣き叫ぶ人々で満ちていた。至る所で自動車の事故も起こっている。空を見上げれば円盤たちが光線を降らせながら、少しずつこちらにも近づいていた。
 家から美術館まではなんとか走ってもいける距離にあった。人や車でごったがえす大通りを避けながら、狭い路地を伝ってなんとか辿り着いた。炎をあげる街並みに照らされ、それぞれの館は皮肉にも美しく、細やかに揺れる影を携えじっと佇んでいた。だがすぐにこの建物らも、手を広げ続けるあの炎の海に飲み込まれてしまうだろう。
 仏像の館の中に入ると、そこは驚くほど平然と、いつもと変わらぬ景色を僕に見せるのだった。壁を貫通してくる爆音と衝撃だけが異物だった。
 僕はこの場所に訪れたものの、彼らを守る手段など一つも持ち合わせていなかった。そうなれば僕に出来うる唯一のことは、顔の前で両手を組み、目を閉じて祈ることだった。そしてゴキゴキと関節を折るような響きが、至る所から聞こえ始めた。
 あまりの衝撃か、それとも祈りが通じたことによる歓喜か、僕はその光景を見て笑った。目の前に立ち並ぶ仏像たちはゆっくりと、動き始めたのだった。
 
 館を駆け出た仏像たちは、こちらに近づく円盤たちの下へと向かった。そして彼らは自らの身体が軋む音を鳴らしながら深く膝を折り曲げ、そのまま天へと飛び上がった。夥しい数の仏像たちが、その身体にあらゆる光を反射させながら一直線に円盤へと向かっていく。それは落下という運命に抗う流星のようにも見えた。円盤から放たれる光線にいくつかの仏像は当たり、その身体は無残にも砕け散る。だが円盤まで到達した仏像たちはその手に握られた武器か、自らの硬い拳をその円盤に向かい思い切り振り下ろした。
 空からは巨大な金属音が響き始める。仏像たちの一撃は、確かに円盤に通っている。
 遠い空から凄まじい速度で光の群れが近づいてくる。どうやら航空自衛隊も到着したようだった。
 館からはまだ仏像たちが出続けている。彼らはみな走る。そして瓦礫の山の中から、飛び上がり円盤へと向かう。遂に一台の円盤が墜落し、巨大な爆風を上げ周辺の街を丸ごと飲み込んだ。円盤の上に乗り戦っていた仏像もきっと粉々になっただろう。だが仏像は戦い続ける。
 
 ポケットで振動するスマートフォンを取ると、それは五十嵐さんからだった。
「おい見てろ!ぶちかますぞ!」
 その瞬間夜空に向かい打ちあがる一本の光線が見えた。その光線の先は一瞬ふっと消えたかと思うと、次の瞬間に夜空に鮮やかな光の大輪が広がるのだった。それは花火だった。そしてその一発を皮切りに次々と花火は打ちあがり始める。それは夜空を美しく彩りながら、いくつかの玉は円盤に衝突し破裂した。
「玉はいくらでもあるんだ!まだまだいくぞこの野郎!」
 僕は再び館の中へと駆けこんだ。もう残り少なくなった仏像たちが、奥からゆっくりと外へ向かって動いていた。そしてそれを茫然と館長が眺めている。
 館長の握るラジオからは懸命に叫ぶアナウンサーの声が聞こえた。
「信じられないことではありますが、現在各地の寺、美術館から、仏像たちが円盤たちに向かい飛び上がっているということです。みなさん!現在航空自衛隊が、そして仏像たちが、懸命にあの憎き円盤たちと戦ってくれています!我々に出来ることはもはや祈ること、そして応援することしかありません。まずは身の安全を確保し、避難してください!そして祈ってください!応援してください!仏像たちは、私達のために戦ってくれています!」
 僕は床に転がる銅剣を握った。
「君、何をする気だ?」
「館長。僕も戦います。戦わなきゃ、いけないんです」
 声を震わせ引き止める館長の叫びを振り切り、僕は館を出る一体の仏像の背中へと飛び乗った。
「僕も連れてって」
 着実に、空の円盤はその数を減らしていた。そして勢いよく僕を背負った仏像は走り始める。飛び上がり、風を切り、瓦礫を越え、アパートやビルに飛び移り、降り注ぐ光線を避けて突き進んだ。そして傾いたビルの頂上から、仏像は思い切り飛び上がる。目の前には銀色の円盤が、その銀色は一気に僕の視界を埋めた。
 仏像の背中からさらに飛び、その円盤の上に飛び乗ると、僕は全身全霊を込めて銅剣を振り下ろした。けたたましい響きが、僕の全身を包んだ。

 あれから数ヶ月が経ち、僕は美術館の仕事を辞めてしまった。そして今僕は、仏像を作っている。あの日、空に飛び上がった仏像たちはそのほとんどが失われてしまった。僕達を守ったあの仏像たちに少しでも並べるような、そんな仏像を目指して僕は日々作り続けているのである。木彫りや鋳型など、仏像といっても様々な作り方があると知って中々面白い。
 街は少しずつ復興を進めている。一歩ずつ、一歩ずつと。五十嵐さんは勝手に花火を乱射していたらしく、後でこっぴどく怒られたらしい」
「来年こそはもっとちゃんとした花火見せてやるからよ」
「はい。楽しみにしてます」
「お前さんも早く一人前になってよ、さっさとあの館の中を、もう一回仏像たちで埋めてくれよ」
「……頑張ります」
 僕は今日も仏像を作る。祈りや願いを込めて。そして多大なる感謝を込めて。


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