迷惑を掛け合う
いつでも身を引けるように振舞っている時があった。
なるべく入り込まず、第三者的な視点に留まってその場の人達に関わっていく。それが意図的な行為ならば別にいいのだけど、無意識的に自分がそうした振る舞いをしていることに気づくと、ドキッとする。
この人達なら自分がいなくても大丈夫だな、と思考していて、なんで僕はこの場にいなくなることを前提に考えているのか不思議になる。
自分はどこに行くつもりなんだろう?
どこかへ消えてしまいたいんだろうか?
いや、そんなことはない。
ただ、心の片隅で自分が死ぬことをずっと考えている。
別に自傷行為をしたこともないし、それなりに満たされているので死にたいとも思っていないのだけど、いつか死ぬことだけは避けられそうにない。そのことが妙に頭にこびりついている。
だから、なるべく因縁を残さないように生きてきた。当たり障りなく、表面を撫で合うように接して、離れていく。
けれど、最近もうちょっと迷惑をかけて生きても悪くないかもしれない、と思うようになった。
明確なきっかけはなんだったかわからないけれど、友人に助けを求められると悪い気はしないのだ。ということは、僕が友人に助けを求めて迷惑をかけることも悪くないかもしれないと感じるようになった。
その場で埋め合わせをしなくても、後々に借りを返せばいいのだ。
そうやって、いつもいつもお互いが少しずつ余分に迷惑をかけあう。すると、次はこっちが借りを返さねばならぬ、と関係性はどこまでも続いていく。
僕はただ迷惑をかけることを恐れていただけだった。
でも、迷惑をかけるのもかけられるのも人間臭くて生きている感じがするものだ。
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