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哲学の道

桜の名所であり紅葉の名所でもある哲学の道は哲学者西田幾多郎さんなど京都大学ゆかりの人が好んで散歩していたことからそう名付けられました。

「人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行くなり」
法然院の近くには西田幾多郎さんの歌が書かれた石碑があります。

普通、銀閣寺にお参りしたあと南禅寺方面に歩く人が多いし、銀閣寺の方が北にあるので、こちらが上流と思っている人もいるかも知れません。でも琵琶湖疎水の分線ですからもちろん南禅寺が上流です。市内に水を流す為にわざわざ北の方まで疎水を持って来てそこから下に流したんです。有名な南禅寺水路閣から銀閣寺まで流れて来た水は西に方向を変え堀川まで繋がっていたんですね。

桜落つ哲学の道ひと休み(さくら:晩春)

桜の季節の哲学の道は人気画家の展覧会より混んでいます。でも桜が散ると新緑の季節までほんの少しだけ静けさが戻って来ます。ほんの束の間ですが。

風光る疎水の店の京小物(かぜひかる:三春)

人通りが多くなるといろいろな店も出来ます。文人が散策していた頃には絶対に無かったようなカフェやお土産屋、小物を売る店が沢山出来ています。こんな人混みの中では文人も思索の為に散策するなんてことは考えないでしょうね〜。

哲学の道の吾輩子持ち猫(こもちねこ:初春)

哲学の道が始まる南端の若王子近くには猫が沢山いてまさに吾輩は猫であるとばかりに散歩しています。猫の季語では「猫の夫」「猫の妻」「うかれ猫」や「はらみ猫」「子持ち猫」などなど沢山ありました。始めは「猫の親」でしたが、親が私みたいに思えたので急遽「子持ち猫」に変更です。

桜道連れ合い探し後戻り(さくら:晩春)

桜道置いて行かれて急ぎ足(同)

哲学の道は桜の季節はまさに桜道となります。私の絵のように二人だけなんてことはコロナ禍でもありえないでしょうね。花見人で溢れかえった狭い道で、少し桜に見とれていると相方の姿もあっという間に消えてしまいます。あれ、これだと置いて行かれた感じになりますね。という訳で2つのバージョンです。

桜の哲学の道


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