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山装うマリリン・モンロー・ノーリターン

いつの日か来たる逢瀬おうせ寒薔薇かんそうび

鉛筆画の方が人物がよく描けるかと思って再度描いてみました。でも描いてみるとなかなか微妙です。やはり本物とは違いますね。でも雰囲気はつかめるようになって来ました。マリリン・モンローは特徴があってみんなが知っているので練習としてはいい素材です。

マリリン・モンローの本名はノーマ・モーテンソンと言います。マリリン・モンローのモンローは母親の旧姓です。1926年にロサンゼルス郊外で生まれたモンローは12才の時、両親が離婚、その後母親が精神を病んで入院した為、母親の友人・知人に預けられたり孤児院に入ったりと複雑な子供時代を送っています。そして16才で当時一緒に暮らしていた家の隣に住む21才の若者と一度目の結婚をします。その後、夫が軍隊に招集された18才の頃、たまたま陸軍機関紙が士気高揚の為、航空部品工場で女工として働いていたモンローの写真を撮影したことがありました。それをきっかけとして翌年、夫の反対を押し切り単身ハリウッドへ旅立ちました。始めはピンナップ・モデルの仕事などをしていましたが、20才でFOX社と契約、マリリン・モンローの芸名をもらい女優としての第一歩をスタートします。入社を機に離婚したものの俳優としては全く芽が出ず、FOX社との契約は更新されませんでした。しかしFOX社幹部の愛人となっていたモンローは彼の紹介でコロンビア映画と契約し一度だけ映画にも出演します。しかし半年で契約は解除され、再びモデルの仕事に戻ることになります。その後大手代理人事務所の副社長の愛人となると彼の手配により24才で20世紀FOX社と7年間の契約を結ぶこととなります。

始めの4年間で「紳士は金髪がお好き」などお色気路線が評判となりスターダムにのし上りますが、契約内容は1950年入社当時のままの為、出演料は他のスターに比べて低く抑えられていました。そんな不満もあってモンローがある映画への出演を拒否し、FOXは彼女を活動停止処分とします。そこで彼女が取った行動はなんとそれまで映画監督や映画俳優などと並び浮名を流していたメジャーリーガーのジョー・ディマジオと結婚すると言うことでした。そして日本へ新婚旅行に来るとその後も韓国に駐在する国連軍を慰問するなど一気にその名は世界に広まりました。そこでFOX社は彼女に譲歩し契約を見直すと共にブロードウェイで大ヒットしていた「七年目の浮気」の映画化でその主演を約束するのです。あの有名なスカートが地下鉄の通風孔からの風で捲れ上がるシーンはこうして生まれたのでした。そしてその年ジョー・ディマジオとの9ヵ月間の短い結婚生活もあっけなく終わりを告げるのです。あの有名なシーンが原因ともディマジオの焼き餅が原因とも言われています。

その後も俳優のマーロンブランドなど有名人と浮き名を流しますが、劇作家アーサー・ミラーとは本気だったようで結婚してユダヤ教にも改宗しています。それからは彼女の演技も向上し33才の時にはゴールデングローブ賞ミュージカル・コメディ部門で主演女優賞を獲得するまでになりました。しかし、精神的にはかなり追い詰められていて、撮影現場でのトラブルや薬物への依存により心も身体もボロボロになっていきました。

34才でミラーと離婚すると身体を壊し状況は更に悪化、36才で薬物の過剰摂取で死亡するのですが、その間、彼女の側にいて面倒を見ていたのはたった9ヶ月で別れたジョー・ディマジオでした。ディマジオはマリリン・モンローの死後20年間毎週3回彼女の墓に赤い薔薇を捧げ続け、20年間お墓の前の薔薇が枯れることはなかったと言うことです。

いつの日か来たる逢瀬おうせ寒薔薇かんそうび

会える日を待つや墓前の冬薔薇ふゆそうび

ディマジオもいずれ天国で会えると思い続けて薔薇を捧げていたのではないでしょうか。これだけの男性遍歴がある女性をここまで愛し続けるディマジオにも感動してしまいますね。

う〜〜ん。マリリンが50才くらいに見えますね。トホホ!!

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