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雨音が強くなりたりダリアかな

秋の花を検索して出て来たダリアですが、季語としては晩夏でした。ダリアは江戸時代にオランダから長崎経由で日本に来ましたが、和名は何故か天竺牡丹となりました。天竺とはインドのことなので当時はインドの牡丹と誤解したのでしょうかね。ダリアはメキシコ原産なので暑さに強いのかと思いきや、寒冷地に適するということで日本でも東北や北海道の方が色が綺麗になるそうです。ダリアはメキシコの国花にもなっているほどの花ですが、メキシコでも高地で咲いていたものなのですね。確かにメキシコシティも標高3000メートル級でしたね。高嶺の花です。

俳句の基本形ですが、改めて考えてみるとパターン3が一番難しいというか、一物の句になりやすいと思いました。私も4句作ったら一つは無意識に一物の句になっていました。
「京の路地新たに植えし紅葉かな」
実は路地にある若い紅葉を詠おうとした瞬間、下五で季語+「かな」のパターン3は季重なりとなるので採用してはいけなかったのです。応用編で下五を季語でない3文字にすることは可能ですが、「かな」で詠嘆するようなものを持って来ると紅葉とどちらに重点があるのかと言うことになるのでやはり難しいですね。つまりパターン3は初心者にとっては、季語と無関係な文を作る、そして季語はその風景とぶつかり、響き合うものを採用するということですね。

昨日は
「水切りの石を選びて尾花かな」
推敲前は
「水切りの石を選びし尾花かな」
これだと「選びし尾花」と続けて読むと擬人化と間違えそうです。中七をどのように終えたら「や」等の切字なしで下五の季語との間を切ることが出来るのでしょう?

ここで先人の句を見てみると
「金色の仏ぞおはす・蕨かな」 水原秋桜子
「傘もつ手つめたくなりし・牡丹かな」 富安風生
「オムレツが上手に焼けて・落葉かな」 草間時彦
中七の終わりは「す・し・て」で「a」「o」の母音の語は少ないみたいです。

次の句は「たる」で終わるのかと思いましたが良く見ると違いました。
「帯とけて・つかれいでたる蛍かな」 久保田万太郎
中七と下五で一体なんですね。
切字を使わなくても、初句切れ、二句切れ、句切れなし、中間切れという様に句がどこかで切れますが、久保田万太郎氏の句は初句切れで且つ「かな」で終わる応用編でしょうか。

そう言えば季語も3文字ではなく中七に食い込んで長い季語にしている例があると書いてありました。その場合は普通中間切れ(句またがり)ですね。
ということで、久保田さんの句は、一瞬、蛍の擬人化で帯をといた蛍かとも思いましたが、そうではなくてパターン3の応用編です。

では3文字の季語ダリアをつかって「かな」の練習をやって見ます。さてダリアに何をぶつけましょう。

雨音が強くなりたりダリアかな

公園に遊びし子供ダリアかな

ちゃぶ台に向かいて二人ダリアかな

ダリアと響き合うことがらを探すことはとても難しいです。自分にダリアとの接点がない為なのか、単に想像力不足なのか。思い切って全く違う場面はないのかな?

美術館巡りて久しダリアかな

美術館の近くにダリアが植わっていたのか、それともダリアの絵が印象的だったということでしょうか。いやダリアの絵だと季語とは言えないですね。

残念ながら満足のいくダリアの句は出来ませんでした。「かな」のパターンが一物の句になっていくのも分かる気がします。


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