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ロザリオを数珠と言うらむ絵踏かな

「絵踏」が春の季語だということを初めて知りました。江戸時代に正月から3月にかけて長崎を中心に踏み絵を実施していたそうです。この間テレビでもやっていましたが、「踏み絵」ではなく「絵踏み」がこの検査を表わす正しい言い方なんですね。私はずっと検査そのものを踏み絵だと思っていましたが、踏み絵は単に絵そのものを指すのですね。正岡子規も「絵踏」と正しい使い方をしていました。
「苗代の泥足はこぶ絵踏かな 子規」
踏絵(これは正しい言い方)は始めのうちは紙や木製でしたが、そのうち擦り切れないように真鍮製が出来たとキゴサイ歳時記に書いてありました。でも何度も踏まれているうちに真鍮の彫刻も擦り減って姿形がわかりにくくなっています。

長崎の島々では二百数十年に亘り禁止されていたキリスト教を棄教せずに家や村として密かに守って来たんですね。日本人の「繋ぐ力」の強さ凄さには驚くばかりです。三河一向一揆で宗教の怖さを知り抜いていた徳川家康はキリスト教を禁止するだけでなく、全ての民をいずれかの寺の管理下に入れることで民を藩と寺の二重で管理していました。決して宗教そのものを嫌っていた訳ではなく自らの政権維持の為にうまく利用していたのですね。そのお陰で今でも寺の資料が焼けていない限り、過去帳から檀家の過去の様子がわかることがあります。家康はキリスト教を禁止しましたが、これは単に異国の宗教だからと言う訳ではなくスペインやポルトガルが世界中に宣教師を尖兵として送り込み、植民地化を進めていたことをよく知っていたからなのです。そもそも日本の鎖国も家康が始めた訳ではなく、家康の死後にどんどん内向きになり鎖国が国是になったのですね。家康は布教活動をしないことを約束させた上でイギリスやオランダとはちゃんと貿易を認めていました。イギリス人のウィリアム・アダムズ(三浦按針)やオランダ人のヤン・ヨーステン(八重洲の地名の元となった)を外交顧問として召し抱え、しっかりと世界を俯瞰していたのですね。後を継いだ将軍達がしっかりと外交をしていれば黒船の来襲で大騒ぎすることもなかったのかも知れません。

ロザリオを数珠と言うらむ絵踏かな

隠れキリシタンはキリスト教の儀式や祭具を仏教のそれに置き換え、心の中だけで正しい姿を思い浮かべていたのでしょうね。それでも厳しい追求になくなく白状した人もいたのかも知れません。

最近エホバの証人の輸血拒否や愛のムチが話題になっています。旧統一教会と違い、宗教そのものに関わる問題なのでなかなか難しいです。癌治療を拒否する人もいますが、この場合は宗教が関係してもしてなくても余り問題にはなりません。個人の選択の自由が優先されているようです。エホバの証人でも15才未満の子供を除けば輸血を拒否しても今の法律ではどうしようもありません。ただ子供だけは親の信仰の犠牲にならないように、昨年末の厚労省ガイドラインにより親を説得し、それでも駄目なら最終的に親権を取り上げることもありうるそうです。宗教に詳しい島田教授が信条と行為は分けて考える、泥棒をすれば救われると言う教義があっても、それを実行すれば刑法違反で逮捕されると分かりやすく説明していました。でも輸血拒否は法律違反ではないので飽くまでも親の治療ネグレクトと言う別件逮捕みたいな扱いになっています。やはり人権問題として輸血については年齢に関係なく医者の緊急対応を正式に認めるとかはっきりさせた方がいいように思います。ついでに安楽死、尊厳死の問題も国としてもう少し考えて欲しいですね。85才以降は尊厳死を選択出来るとかね。(これは飽くまで個人の選択の自由であり、85才以上の人はいらないとか早く死になさいと言う意味ではないですよ。)

ちなみに旧統一教会は先祖供養なんて言うキリスト教ではありえないことを言っているので宗教問題ではなく、詐欺のレベルで考えていいですね。

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