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スカイツリー

ネット検索していたら美しい夕焼けのスカイツリーが出てきたので今回は無謀にも下町のスカイツリーに挑戦しました。建物が豆粒のように沢山あってどうしたらいいのか描きだしてから途方に暮れました。ぐじゃぐじゃに見えますがよく見ると道路に沿ってやや高めの建物があるのが分かります。そこで道路の位置をイメージすることでまず奥行きが出る絵にしました。出来上がると少しばかりわざとらしさも感じられますが、已む無しです。

スカイツリーは東武線の業平橋なりひらばし駅近くの敷地に東武鉄道が作ったテレビ塔ですが、業平橋と言う名前とは裏腹に観光客などは殆ど行かないただの下町でした。辺りは低い建物ばかりでテレビ塔の立地条件としては抜群だったのでしょうね。江戸時代には業平橋という橋はあったようですが、平安時代に湿地帯だったこの場所に在原業平が来たとはとても思えません。

2012年にスカイツリーが出来て直ぐ見に行こうと思いましたが、連日の満員報道だったので少し様子を見ていました。行ったのは確かその年の夏だったと思います。いい天気だったのに展望台に上がるとなんと雲で全然景色が見えないのです。でもしばらくすると雲が消えてしっかり東京の姿を450メートルの上空から見ることが出来ました。尚、塔のてっぺんまでの高さは武蔵(634メートル)と覚えました。

南風みなみ吹き下町出でしスカイツリー

夏の夕江戸は東京スカイツリー

江戸時代から下町として庶民が暮らしていた業平橋は駅の名前も東京スカイツリー前へと名を変え、水族館やおしゃれなショッピングモールなどが出来てもはや江戸情緒などは残っていない場所に変貌しました。「明治は遠くなりにけり」なんて言っていた時期もありますが、最早「江戸はなくなりにけり」です。

夏の夜や各駅止まりて業平橋なりひらばし

夏の夜や上りの各駅人まばら

これは私の個人的な思い出で大半の人にはそれが何!という句ですね。一人ぼっちになった老いた母の面倒を見る為に週末毎に栃木の実家に帰っていた時期がありました。日曜の夜には東京に戻らなければならないので大抵は最終の急行で帰っていましたが、たまに母親がぐずると遅くまで実家にいて普通列車で帰って来ました。そんな時は業平橋に着くとああやっと浅草に戻ってきたかという感じでした。でもそれが何ですよね。


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