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霧島の鹿覗きたる露天風呂

今日はそろそろ行きたいなと思っている露天風呂です。いつも冷たいお風呂を描いているので今日はめちゃくちゃ湯気をたてました。ちょっとやりすぎですね。おでんの湯気では溶けない白を後から塗りましたが、今回は湯気をたくさん描く為、湯気を描かない白抜きでトライです。ついでに初めてのヌードにも挑戦です。

露天風呂と言うと昔からあったイメージがありますが、これが普及したのは昭和それも1980年代以降なんですね。バブル時代に温泉も大変化を遂げていたのです。日本の三大古湯は道後、白浜、有馬温泉ですが、元々これらの温泉宿はみな屋根の付いたお風呂です。そもそもお風呂自体、江戸時代までは蒸気風呂つまりサウナのような風呂が日本の風呂の主流だったのです。それが江戸時代になって湯を張るお風呂(関西では五右衛門風呂、関東では鉄砲風呂)が出来ると家ではすい風呂に入る習慣が出来ます。ただ銭湯ではそれまで通り戸棚風呂と呼ばれるサウナが主流のままで洗い場の端に大樽の湯舟が置かれている程度でした。

それなりの年齢の方はご存知の通り、昔は銭湯の入口は破風のある豪華な入口になっていましたが、実はこれには理由があるのです。江戸時代の銭湯では洗い場とは別に蒸気を閉じ込める空間を作り、扉の付いた入口を作って蒸気が漏れないようにしていました。その入口は柘榴口と言われ破風をつけて如何にも入口とわかるようにしていたのです。ところが明治時代になると洗い場に大きな木造の湯船が出来て銭湯でも風呂は湯に浸かるという習慣が定着して行きました。そして、いらなくなった柘榴口の立派な破風は銭湯の建物の入口に据えられるようになったのです。もったいないから再利用したのか、ここが風呂屋だとわかるように取り付けたのかはわかりません。いずれにしても銭湯の入口に破風が出来た経緯はこう言うことだったのです。それが大正時代になると板張りの洗い場や木製の湯船はタイル張りに取って代わられ、内装も天井が高くなり現代の銭湯の原型が出来上がったのでした。

話が露天風呂からだいぶ逸れてしまいした。那智勝浦のホテル浦島には紀州の殿様が帰るのを忘れると言ったので「忘帰洞」と名付けられた露天風呂があります。多分、自然に近い形で出来た露天風呂は地域レベルでは昔から存在していたのだと思います。でも大半の温泉旅館では江戸時代からずっと屋根付きの内風呂だったと思います。三大古湯など古くからある温泉でも明治時代の木製や大正時代のタイル張りの銭湯が殆どです。大自然の中の露天風呂は私も大好きですが、以外にも本格的に普及していったのはバブルの時代からだったのですね。

長電話後悔遅き湯ざめかな

「湯ざめ」が冬の季語だと見つけたのでついつい使ってみました。

霧島の鹿覗きたる露天風呂

山の中にある霧島温泉で本当にあった出来事です。

身に沁むやいらかの波に湯の煙

温泉街の家並みから湧き立つ湯煙りはなんとなく心を落ち付かせてくれます。

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